終末
キリストに見倣い、キリストに似姿を目指す、信仰者の目指す生き方です。
終わりを見て生きる、それが私の人生観です。自分の命の終わりと世界の終わりの終末。この二つを見て今を生きます。
キリスト者は、地上の生涯を終えて神の国に迎えられます。神の国に迎えられるのにふさわしい人はどのような人なのでしょうか。
主イエスは天国を語るとき、タラントンのたとえを話されました。最後の裁きと結びつけて考えます。
未信者の家族の救いはどうなるのでしょうか。救われるのか、救われないのか。
人は信仰によって救われるのか、それとも行いによって救われるのか。そのような問いを立てることができます。
最後の審判を思うとき、すぐに心に浮かぶのは「こころを高くあげよう」(讃美歌第二篇1番)という讃美歌にある歌詞です。
人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。再臨のキリストは栄光のキリストです。
聖書は、私たちが神の国に迎えられるとき、主イエスに似た者となることを語っています。
私が終末を信じる根拠の一つは最後の審判です。 主イエスの語った教えがあります。マタイ25章
終末の到来について信じる理由、根拠を見出したいというのが人間の心情です。私自身が信じる理由として考えていることを紹介します。
人生行路の第三段階は、終わりを見て生きる、ということです。ここでは、世界の終末と私たちの生きかたを考えます。。
年末になると思うことがあります。終わりがあること。自分の人生に、そしてこの世界に。
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。・・・
主イエスは弟子たちに世の終わりが来る前に大きな苦難が訪れると語られました。
聖書は世の終わり、終末について語ります。どのようにしたら信じることができるのか、悩みました。
聖書が語る救いは「滅び」からの救いです。滅びとは何でしょうか。神さまに見捨てられることと考えます。
聖書が告げる救いの三つの側面、過去、現在、未来の救いについて考えます。