クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書が告げる救い

 聖書が告げる救いには三つの面があるように思います。過去、現在、未来です。

 まず過去。私たちが過去に犯した罪に対する救いです。これは罪の赦しとして与えられます。私たちは自分が犯した罪を覚えています。その罪が誰かに知られることを恐れます。思い出すのもいやです。そこで自分の心にその罪を封印し、思い出さないようにします。あるいは封印することができず、何かあると自分の罪を思いだし、苦しみ続けることもあります。自分を責めたり、後悔したり。とてもつらいことです。でもどうしていいか分かりません。

 しかし、イエス・キリストによる救いがあります。罪の赦しです。その結果、私たちは神との間に平和を与えられ、心に平安が宿ります。これが過去の救いです。

ローマ
5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 

  次は未来における救い。聖書には、終末の時が来て人は皆神の前に裁かれると書かれています。これを最後の審判と言います。イエス様はマタイ福音書25章31節以下でご自身が裁きを行うことを語ります。ある人は「神の国」を受け継ぎ、別な人は「永遠の火」に入るとされます。

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 

  ここでは「永遠の命を得る」ことと「滅び」が語られています。人は永遠の命を得るか、滅びるか、どちらかであると言われます。この終末における救いが、最終的な救いとなります。

コリント一 1:18
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です 

  ここには「滅んでいく者」の存在が告げられていますが、これは最後の審判の結果、滅びに入れられる人を指しています。神の国を受け継ぐ、神の国に入れられる、永遠の命を得る、これが救いです。

 そして現在における救いです。コリントの信徒への手紙二の2章には、「救いの道」と「滅びの道」と二つの道のあることが語られています。救いの道を歩む者は終末の時に神の国に迎えられ、滅びの道を歩む者は、終末の時、滅びに入れられます。キリスト者は、この救いの道を歩むことになります。

 そこで教訓となるのがエジプトで奴隷として苦しんでいたイスラエルの人たちです。彼らは奴隷として苦しい生活をしていたので、神さまに助けを求めました。そして神さまは指導者モーセを選び、イスラエルをエジプトから救い出し、乳と蜜の流れる地、肥沃な土地つまり実り豊かな地に連れて行くと約束しました。もちろんそこでは自由に生きることができます。エジプトを出た時に大人だった人で、神が約束された地に入ったのは、実際にはわずかでした。なぜでしょうか。

 イスラエルの民はエジプトから約束の地まで荒野を旅しなければなりませんでした。徒歩の旅です。旅の間に時々、困難な事態が起きます。食べ物がなくなったり、飲み水がなくなったり、知らない人たちから攻められたりと色々な困難が起きます。

 その時、「救いの道」を歩んでいる人は、神に信頼し、神に助けを求めようとしました。しかし「滅びの道」を歩んでいる人は、指導者モーセと神さまに文句を言い、挙げ句の果てにはエジプトにいた方がよかったなどと言います。
 そして約束の地を目の前にした時が最後の試練でした。約束の地には強そうな人たちがいたのです。彼らと戦って土地を奪い取る必要があります。「救いの道」を歩んでいる人は神の約束を頼みとし、神に信頼して前進しようと語ります。しかし「滅びの道」を歩んでいる人はエジプトに帰ろうと言い出します。ここで神さまはついにお怒りになります。

 神さまは大いなる力を発揮してエジプトからイスラエルの民を解放したし、約束の地を目指す旅の中でも困難が起きるつど、奇跡を行ってイスラエルの民を助け導いたのです。それなのに多くのイスラエルの民は約束の地を前にして恐れをなしてエジプトに帰ろうと言い出しました。神さまに信頼することを拒んだのです。神さまは怒り、イスラエルの民を40年、荒野で生活させます。この40年の荒野の生活でイスラエルの民は神さまに信頼することを学ぶのです。神さまに信頼しようとしなかった人たちは皆、荒野で死んでしまいました。

 「救いの道」を歩んでいる人は、神さまが共にいてくださり、困難が起きても神さまが助けてくださるのを経験しましたから、喜びをもって希望をもって荒野を旅しました。「滅びの道」を歩んでいる人は、いつ困難が起きるだろうかと、必ず神が助けてくれるという保証はないしと思い、不安や思い煩いを抱いていました。

 私たちはイエス・キリストを信じ、神の国に入ることができるとの約束を与えられ、この世という荒野を旅しています。私たちはどのようにこの世という荒野を生きていくのか、私たちの課題です。

 

f:id:holala:20210419201044j:plain

はなみずき 散歩道