受難
神である方が人となり、この世に生まれメシア(救い主)としての働きをします。しかし人々はこの人を信じるどころか死刑宣告をします。死刑宣告を受けたイエスを人々は愚弄します。
十字架につけられ、人々からあざけられた主イエスはどんな気持ちだったのでしょうか。
十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうイエス様。どんな気持ちで十字架を背負っていたのでしょうか。
教会でバッハのマタイ受難曲を聴く会が開かれ参加しました。貴重な体験でした。
受難節を過ごしている今、イエス様はどんな思いで苦難の時を過ごしておられるのか、思いめぐらしました。
ゲッセマネの園で祈るイエス様は弟子たちに「目を覚ましていなさい」とお命じなりました。しかし弟子たちは寝入ってしまいました。
弟子たちは皆つまずくと主イエスが語ったとき、弟子たちは「そんなことはしない」と否定しました。
ゲッセマネの園でイエス様が祈る場面を思いめぐらしました。一番印象に残ることは、イエス様が恐れもだえたこと、そして「死ぬばかりに悲しい」と言われたことです。
今年の受難節はマルコ福音書を読んでいます。今日は14章10~11節。ユダの裏切りの場面です。イエス様の弟子の一人、イスカリオテのユダはイエス様を裏切り、イエス様を引き渡そうとして祭司長たちのところへ出かけました。そしてイエス様を引き渡す機会を狙…
イエス・キリストの十字架を神の計画という視点から考えます。神さまは世界を創造する時に十字架を計画しておられました。
十字架の上でひとびとからののしられ、あざけられ、侮辱されたいえす。みじめなすがたをさらすのはなぜ?
ローマの兵士たちに愚弄されるにまかせるイエスさまのお姿。どうしてそこまで。
イエス様は「あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る」と語り死刑にあたると裁かれました。。
ゲッセマネの園でイエス様は「わたしと共に目を覚ましていなさい」と弟子たちに命じました。これは私に向けられた言葉です。
ゲッセマネの園で祈り。祈りの中で、十字架への道を決断するイエス。そして「立て、行こう」と前進するイエス様
ゲッセマネの園で主イエスは祈られました。そのとき、「死ぬばかりに悲しい」とイエス様は言われました。何を悲しまれたのでしょうか。
イエス様は朱の盤さんの後、弟子たちがみなつまずくことを告げます。それはなぜなのか。
信仰を持つ人は、自分が信じることが確かであるとの思いを持つのではないでしょうか。確かさの追求は私の課題です。