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隠退牧師 holala によるブログ

受難節黙想 ルカ 22:14~23 新しい契約

 この箇所はルカ福音書における主の晩餐の記事です。イエスは杯についてこう言います。

ルカ 22:20
この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

 新しい契約という言葉は、エレミヤ書31章に出てくる新しい契約を思い起こさせます。

エレミヤ 31:33~34
 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない

 エレミヤが語る契約において、神は「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」と約束します。これはイエス・キリストを信じる者はその信仰のゆえに義とされるとの教えに相当する内容と言うことができます。

 「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。彼らはすべてわたしを知る」とは、どういうことを語っているのでしょうか。その結果、信仰者は神の民になるというのです。

 私はこれを、信仰者が神を愛し、神の心を大切にし、喜んで、自ら進んで、神の律法を守るようになることを告げていると理解します。

 旧約を読むと、イスラエルの民は神の律法を守ることができませんでした。神に逆らい国は滅びてしまいました。しかし新しい契約のもとでは、信仰者は神の律法を守るようになると約束されていると理解します。使徒パウロはロマ書で次のように語ります。

「それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした」(8:4)。

 聖霊に従って歩む私たちキリスト者は、律法の要求を満たす、つまり律法の要求するところを実行するようになるというのです。

 イエス・キリストにより、エレミヤの預言が実現したことを思う時、霊に従って歩む私たちのうちに律法の要求が満たされることを心に留めることが大切と考えます。キリストによる救いとは罪の赦しだけではなく、キリスト者は律法を満たす者となるというのです。なんと素晴らしいことでしょう。

サンシュユ 馬見丘陵公園