クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

肉と霊の戦いに勝利する

肉の思いに勝利し、罪に打ち勝つために必要な二つのもの。信仰の決断と、御言葉を喜ぶこと。

神の教え・戒めの受けとめ方

神の教え・戒めは何のために与えられているのでしょうか。それは私たちの祝福のためだと考えます。

神の教え・戒めの受けとめ方

神の教えとどう向き合うのか。それは神とどう向き合うのかに関係している。

原点に返る

長い信仰生活を送って立ち止まる時、信仰の原点に戻らされた思いをしています。

信仰者の直面する二つの現実

キリスト者が直面知る二つの現実があります。文字通りのリアルな現実。今ひとつは霊的現実。霊的な現実を信じるところから信仰生活が始まります。

神の栄光を現すために

神の栄光を現す、これはキリスト者の生きる目的です。老いて、この課題に取り組む思いに導かれました。

妻が私より優れているところ

「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」と聖書にあるので、私より妻が優れている点を列挙してみました。

愛は自慢せず、高ぶらない

愛は自慢せず、高ぶらない。コリント書の言葉を思いめぐらしました。

勝利の道は目の前に

罪との戦いに勝利の道が用意されています。必要なのは決断です。

キリスト者は決断をして生きる

信仰者の心の中の戦い。勝利する道は信仰者の決断です。

愛はねたまない

愛はねたまない。なぜねたんではいけないのか。でもねたみの感情は湧いてきます。

私は生かされているのか

人が「私は生かされている」と語るのを聞きます。でも神を信じる私は、生かされているという思いはありません。神を信じているのに。

わたしはなんとみじめな人間なのでしょう

わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。

霊に従うか、肉に従うか

キリスト者として生きようとすると葛藤が起きます。神の教えに生きようとする思いとそれに反発する思いが心の中でぶつかるのです。

肉の人と霊の人

キリスト者には肉の人と霊の人がいます。霊の人になることが信仰者の成長を意味します。

愛は忍耐強い

愛とは何かを語る時、パウロは最初に「愛は忍耐強い」と語ります。なぜ一番最初に「愛は忍耐強い」と言ったのか、疑問が湧きました。

高官のための祈り

政治家のためにいかに祈るか、むずかしいです。

律法を利用する「罪」

私たちに罪を犯させる力としての「罪」は律法を利用して私たちに罪を犯させます。

罪へ誘う勢力を認めて戦う

罪へと私たちを誘う勢力を認めると、罪との戦いが生じますが、勝利が約束されています。

罪へ誘う勢力を認める

罪との戦いを考える時、私たちに罪を犯すように働きかける力のあることを認めることが大切です。

福音の響き

将棋の棋士が指す美しい手。牧師が語る美しい説教とは?