クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

罪へ誘う勢力を認めて戦う

 聖書によれば、私たちに罪を犯すように働きかける勢力、力があります。聖書は具体的に悪魔、サタンが私たちに罪を犯すように働きかけると告げます。悪魔とサタンは同一の存在といってよいと思います。しかし現代人は、このような存在を認めません。何をするにしろ、すべて自己責任、自分に責任があるというのが、現代人の考えです。

 悪魔の働きかけによって罪を犯す時、自分の責任を回避することはできません。悪魔のせいだと悪魔に責任転嫁はできません。なぜなら信仰者は悪魔の働きかけに抵抗することができるからです。

 もし私たちが悪魔の存在を認めないとどうなるでしょうか。私たちが罪を犯さないで生きるためには、自分の力で努力することが必要になります。罪を犯したとすれば、それは努力不足となります。自分の力で努力して、罪を犯さないことが果たしてできるのでしょうか。できません!それは罪に勝利しようと努力したクリスチャンなら誰でも知っていることです。

 罪へと導く勢力があります。これを認めるか否か。大きな違いがあります。もし認めるなら、罪を犯さないためには、戦いが生じます。罪へと導く働きかけに対して、「否」を言う戦いが生じます。

 もし認めなければ、自分の力で罪を犯さないように努力する必要が生じます。もし努力してもなかなか罪を克服できないとなると、自分を責めることになります。そして自分は罪深いと考えます。自分は罪深いから罪を犯してしまう。そう考えると罪の泥沼に入ってしまい、そこから抜け出ることができなくなります。でも私たちはイエス・キリストの十字架の犠牲のおかげで罪が赦される、あゝ神さま、感謝します、となります。しかし罪を犯す、赦しを感謝する、また罪を犯す、赦しを感謝するという繰り返しから抜け出ることはできません。私はこのような状況の中にいる人をたくさん見てきました。

 私たちは目を覚ます必要があります。神が救い主として御子をこの世に遣わし、十字架の死に渡し、復活させたのは、罪の赦しを与えるためであったのか。全能の神が私たちに与える救いとは、罪の赦しと永遠の命なのか。罪から解放されるという救いは、全能の神でも与えることはできないのか、と。

 もし認めるなら、罪に勝利する道が開かれます。これまで犯していた罪を犯さなくなるためには、戦いが必要となります。そして戦えば勝利できるのです。私たちは自分の力だけで戦うのではなく、神の助けを得て戦い勝利します。

ヘブライ 12:1
こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。

ヘブライ 12:4
あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。

 これからは罪へと誘う力に抵抗するのです。

ヤコブ4:7
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。

 罪に対する勝利は約束されているのです。

ペトロ一 5:8~9
身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです

 悪魔には抵抗するのです。私たちの主イエスも荒野で、み言葉を持って悪魔に抵抗しました。多くの兄弟が、悪魔に抵抗してきたのです。

エフェソ 6:10~12
最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。

 このように聖書は罪を犯すように働きかける悪魔に対して抵抗することを教えています。

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馬酔木(あせび)。春の到来を待つだけ。散歩道