クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書黙想

愛は自慢せず、高ぶらない

愛は自慢せず、高ぶらない。コリント書の言葉を思いめぐらしました。

愛はねたまない

愛はねたまない。なぜねたんではいけないのか。でもねたみの感情は湧いてきます。

私は生かされているのか

人が「私は生かされている」と語るのを聞きます。でも神を信じる私は、生かされているという思いはありません。神を信じているのに。

愛は忍耐強い

愛とは何かを語る時、パウロは最初に「愛は忍耐強い」と語ります。なぜ一番最初に「愛は忍耐強い」と言ったのか、疑問が湧きました。

試練の諸段階(2)

試練を通して、聖書の言葉が自分を支える大切な言葉になっていきます。聖句が自分のものになっていきます。

試練の諸段階(1)

試練をくぐる時、そこには段階があるのではないかと考えました。4段階。

神への信頼を形に

試練に直面したとき、それは信仰に生きるときであり、不信仰にお通るときです。どちらを選ぶのか。

キリストに結ばれたわたしの生き方

信仰者の生き方を表現する言葉は色々ありますが、すてきな表現が聖書にありました。「キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方」

信仰に成熟した人って?

成熟した信仰者ってどんな人なのでしょう。それは神の知恵を語る人です。神の知恵とは、世界創造時に神が持っておられた計画のことです。

十字架の言葉の力

十字架の言葉は力、福音は信じる者に救いをもたらす神の力と聖書にあります。キリストを信じる者として、この力をどのように受けているのか、言葉に書き表します。

私の存在は神の存在を証明する?

聖書は神の存在を証明しようとはしていません。かみがいかなるかたかをかたり、このような方を神と信じるか、と私たちに問いかけているように思います。

心を汚(けが)さない

『竜の道』『半沢直樹』。人気役者が出るドラマです。いずれも復讐をテーマとしています。悪人が懲らしめられ痛悔です。でも・・・

神からの使命か?

神の御心は、私たちが聖なる者となることであると聖書に記されています。きちんと受けとめいたいと思います。

クリスチャンの歩む道

芯の通ったクリスチャンの道とは何でしょうか。それはキリストに似た者を目指す道だと思います。

天国への憧れ

天の国への憧れが、今を生きる力を与える。すてきな教えではないでしょうか。

クリスチャンの成長(1)生きる力としての喜び

いつも喜んでいなさい。主において常に喜びなさい。クリスチャンにとって喜びは生きる原動力となる者です。

見ないのに信じる者は幸い

「見ないのに信じる者は幸いである」とイエス様は言われました。なぜ幸いなのでしょうか。思いめぐらしました。

ゲッセマネの園のイエス

ゲッセマネの園でのイエス様の祈り。「この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」との祈りが心に残りました。

真理に属する者

「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」。心に留まった聖句です。

ご自身を現すイエス

わたしを愛する者に、わたし自身を現す、とのイエスの言葉。不思議な言葉です。

キリストに捕らえられて

キリストに捕らえられたと語るパウロ。私はキリストに捕らえられたのか?

信じたい、信じられない

信じたいと信じられないの葛藤の中に生きとき、「信じなさい」とイエスは言われます。

イエスを信じない者の滅び、これを信じるか

キリストとの深い交わりに生きるパウロは、この世を去ってキリストと共にいることを熱望します。私はこの信仰に憧れます。

私のためにイエスは涙を

イエス様はラザロの死を嘆きなく人たちを見て、心に憤りを覚え、また涙を流されました。

信仰によって義とされる(7)

聖なる者として生き、聖なる者へと変えられていく道は、御言葉によって生きることです。御言葉を行って生きることです。

喉元にナイフを突きつけられたような

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」。 イエス様は私たちに「信じるか」と問いかけます。

信仰によって義とされる(6)

わたしたちしんこうしゃはせいなるものです。このことを信じます。そこから信仰の歩みが始まります。

信仰によって義とされる(5)

聖なる人、汚れのない人とは、徹底して神さまの言葉によって生きる人と考えます。心の清い人とは、御言葉によって生きる人と私は考えています。

信じるとはどういうことか

信じるとはどういうことでしょうか。信じてよいとの確かさがあるから信じるのでしょうか。

信仰によって義とされる(4)

私たちが、聖なる者、汚れのない者、御子の姿に似た者になることが神さまの御心です。この御心に生きるとの決断は大切な決断です。