クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書黙想

ご自身を現すイエス

わたしを愛する者に、わたし自身を現す、とのイエスの言葉。不思議な言葉です。

キリストに捕らえられて

キリストに捕らえられたと語るパウロ。私はキリストに捕らえられたのか?

信じたい、信じられない

信じたいと信じられないの葛藤の中に生きとき、「信じなさい」とイエスは言われます。

イエスを信じない者の滅び、これを信じるか

キリストとの深い交わりに生きるパウロは、この世を去ってキリストと共にいることを熱望します。私はこの信仰に憧れます。

私のためにイエスは涙を

イエス様はラザロの死を嘆きなく人たちを見て、心に憤りを覚え、また涙を流されました。

信仰によって義とされる(7)

聖なる者として生き、聖なる者へと変えられていく道は、御言葉によって生きることです。御言葉を行って生きることです。

喉元にナイフを突きつけられたような

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」。 イエス様は私たちに「信じるか」と問いかけます。

信仰によって義とされる(6)

わたしたちしんこうしゃはせいなるものです。このことを信じます。そこから信仰の歩みが始まります。

信仰によって義とされる(5)

聖なる人、汚れのない人とは、徹底して神さまの言葉によって生きる人と考えます。心の清い人とは、御言葉によって生きる人と私は考えています。

信じるとはどういうことか

信じるとはどういうことでしょうか。信じてよいとの確かさがあるから信じるのでしょうか。

信仰によって義とされる(4)

私たちが、聖なる者、汚れのない者、御子の姿に似た者になることが神さまの御心です。この御心に生きるとの決断は大切な決断です。

イエス様と私の関係

私とイエス様の関係は羊と羊飼いの関係です。この関係に生きてこそ、イエス様を信じているといえると思いました。

信仰によって義とされる(3)

私たちが信仰者として生きる時、さまたげるものがあります。「実感」です。実感できないものは信じられない、と考え、信仰がそこでストップしてしまうのです。

信仰によって義とされる(2)

神さまは、私たちの罪を赦し義としてくださいます。そして私たちを聖なる者、汚れのない者、御子の姿に似た者として下さいます。それゆえ、神の前に私たちは義です。

信仰によって義とされる?

罪を繰り返し犯して歩む信仰者は神の前に義なのでしょうか。

神の出来事に対して心を開く

聖書には頑なな心を持つファリサイ派の人が登場する。私たちももしかしたら、かたくなさをもちあわせていないだろうか。

宿題となっている聖句

「言葉では言い尽くせないすばらしい喜び」。この喜びを私は祈り求めています。

わたしの魂が慕うのは

詩編86編4節の言葉をめぐって。「わたしの魂が慕うのは/主よ、あなたなのです」。

真理はあなたたちを自由にする

イエス様は、わたしたちをほんとうにじゆうにしてくださる救い主です。

イエス様の語りかけを聞く

イエス様が群衆に向かって叫ばれた言葉を、私たちも群衆の一人になって聞きます。

「わたしだ、恐れることはない」

「わたしだ、恐れることはない」とイエス様は恐れの中にある私たちに語りかけてくださいます。

よろこんで歳をとる(1)

「よろこんで歳をとる」というタイトルの本が目の前に現れました。私の気持ちを表した本でした。本を読む前に、よろこんで歳をとることについても自分の思いを意識化します。

人からの誉れを求めず

人からの誉れを求める人はイエスを信じることができません。しかし肉の思いとして人からの誉れを求める思いは湧いてきます。肉の思いとの戦い。勝利を導く神の恵み。

神と宇宙

聖書の伝える神は天地の造り主。宇宙に始まりがあります。この神は、宇宙の造り主なのか。

神を愛するとは

神を愛するとは、神の戒めを守ること。いや神を愛するとは神の心を大切にすること。

滅びについて

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」. このよく知られた聖句は「滅び」に言及しています。滅びとは何でしょうか。

聖書が教える家族伝道

家族伝道の模範が聖書に書かれています。聖書の伝道に私たちは学ぶことができますし、伝道の門が開かれていくのではないでしょうか。

アイデンティティーを問う神

ヨハネ福音書1章19~28節を読みました。 <聖書から> 19~20節にこう書かれています。 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言し…

根本的転換の必要

ルカ福音書のディボーションが終わり、今日はヨハネ福音書1章1~3節を読みました。 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかっ…

死もまたイエスに倣う

三日ほど前にルカ福音書の最後、主イエスの昇天場面を読みました。その時は黙想をして時間切れ。今日はその続き、適用です。主イエスは弟子たちの目の前で天に上げられ見えなくなりました。主イエスは目に見えない世界に行かれました。マリアから生まれ、十…