クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖書黙想

神の御子 なぜ、なに(1)

素朴な質問をするなら、神の子ってなに? 人間を救うのはなぜ神の子? 救い主は、神の御子だというのです。どういうことなのかと思案します。

受難週黙想 ルカ 23:50~56 イエスに倣って死ぬ

アリマタヤのヨセフはイエス様の遺体を引き取り墓に納めました。イエスの死を思って導かれた祈り。

受難節黙想 23:44~49 私の霊を御手にゆだねます

死に際し、自分の霊を神にゆだねるのは、すべてのクリスチャンに共通の思い、願いであると思います。イエスに倣い自分の霊を神にゆだねて死にます。

受難節黙想 ルカ 23:39~43 憐れみに富むイエス

イエスと共に十字架につけられた犯罪人。二人のイエスに対する態度は対照的。

受難節黙想 ルカ 23:32~43 イエスの従順

死に至るまで、十字架の死に至るまで、神に従順に生きるイエスを見る。十字架の死に至るまで、そこには人々からの侮辱を受けるという状況もあるのにイエスはなお神に従順に歩まれた。

受難節黙想 ルカ 22:66~71 証しするイエス

イエスは自分を死に追いやる最高法院で、堂々と証しをします。

受難節黙想 ルカ 22:39~46 葛藤の祈り

イエスは苦しみもだえて祈られた。その姿に思いを馳せる。

受難節黙想 ルカ 22:14~23 新しい契約

主の晩餐において、キリストは新しい契約をもたらす方であると語られました。信仰者が律法を満たすようになるという約束。

受難節黙想 隠された受難の意味

ルカ福音書が伝えるイエスの受難予告について、その意味はは弟子たちに理解できないように隠されていたとあります。

受難節黙想 ルカ 9:21~22 弟子たちへの受難予告

主イエスは受難の予告を弟子たちにしました。長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺されるというのです。

聖書が分かるうれしさ(つづき)

自分はみじめだと告白するのは誰なのかという追求は、底なし沼に踏み込むようなものだと思います。沼から出ることができなくなり、さらにはキリストによる救いが何であるかが見えなくなるように思います。

聖書が分かるうれしさ

理解するのがむずかしい聖書の箇所があります。そういう箇所は注解書を見ても説明がなかったりして疑問が解決しません。だからむずかしい箇所が分かるということはとてもうれしいです。

受難節黙想(1)フィリピ 2:1~11

キリストは御子でありつつ、人となり、十字架の死に至るまで、神に従順に歩まれました。キリストの苦悩を思う受難節です。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(8/8)御子を世に送る神の愛

独り子を与えてくださった、そこに神の愛があります。二つの恵みがあります。

天の父の子となるために

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」。この聖書の教えは、愚かな教えに見えるかもしれません。でも・・・

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(7)永遠の命を持つ人の生き方

永遠の命とは、キリスト者を神に結びつけ、神に結びつけられた者としてのキリスト者を生かす命と言うことができると思います。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(6)永遠の命ってなに?

神は独り子を信じる者に永遠の命を与えてくださいます。キリスト者は永遠の命に今生きています。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(5)恵みに満ちた神の愛

神は独り子を世に送り、私たちを救ってくださいました。救いは神の恵みです。神の愛は恵みに満ちた愛と知ります。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(4)人間を見捨てない神の愛

神の愛はどれほど深く、大きいのでしょうか。それは滅びに値する者を見放したり見捨てたりすることなく、救おうとするほどです。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(3)私は滅びる側の人間か?

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。 私は滅びる側の人間なのでしょうか。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(2)神に見捨てられる滅び

聖書が語る滅びとは何か。神に見捨てられることと私は考えています。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(1)滅びについて

ヨハネ 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 滅びとは何でしょうか。

迫害する者のために祈りなさい

敵を愛しなさいに続いて、迫害する者のために祈りなさいと主イエスは教えます。迫害する者を敵と見なせば、彼は私を攻撃しているのです。

敵を愛しなさい(続き)

敵を愛しなさい。この命令はキリスト者に向けられています。キリスト者がこの命令に従うのは、天の父の子となるためとあります。

敵を愛しなさい

今週は「敵を愛しなさい、迫害する者のために祈りなさい」とのイエスの言葉を読み、思いめぐらしています。

神の愛を思いめぐらす(6)

私自身が神の愛を知ったために、自分に何が起きたのか、3つの変化を自覚しています。第一に、心の深いところに平安と喜びがあります。それは神との間に平和を得ているからです。

神の愛を思いめぐらす(5)

聖書は、私たちに対するキリストの愛についても語っています。 「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように」

神の愛を思いめぐらす(4)

神の愛はどれほどの愛?それは人間を絶対に見捨てないほどの愛であり、神の子と呼ばれる資格のない者をなお神の子と受け入れてくださるほどの愛。

神の愛を思いめぐらす(3)

人は自分の罪を知るとき、神の愛を知ります。愛されるに値しない自分を愛する神の愛。

神の愛を思いめぐらす(2)

ヨハネ一3:1 「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい」。 考えてみました。