聖書黙想
主イエスは漁師たちに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と語りました。「私について来なさい」との呼びかけが私にも向けられています。
マタイ福音書の冒頭にあるアブラハムからイエスに至る系図を読み、思い巡らしました。
人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。 それにもまさる喜びをわたしの心にお与えください。
今週は詩篇139編を黙想しています。この詩篇には印象に残る言葉があり、親しみを覚えています。きちんと読んで黙想するのは今回が初めてです。
今週は詩編90編を読んでいます。以前から黙想したいと思っていた詩編です。
十字架の上でのイエスの叫び,「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」を黙想しました。
主イエスはゲッセマネの園で、「わたしは死ぬばかりに悲しい」と語られました。主は何を悲しまれたのでしょうか。
マルコ福音書のディボーションを続けています。先日、14章10~11節を読みました。これを読んで思いめぐらします。
主イエスは弟子たちに世の終わりが来る前に大きな苦難が訪れると語られました。
今日はマルコ福音書の12章でやもめの献金の話しを読みました。この出来事は何を伝えようとしているのか、と思いめぐらします。
聖書が語る罪について考えていて、ふと思いました。モーセの十戒の戒めはなぜ、今あるの10の戒めなのかと。
イエス・キリストを信じる者は神の義を与えられるとあります。ではなぜ、神は信じる者を義と認められるのでしょうか。
最近讃美歌の歌詞が心に響くようになりました。うれしく思っています。今日は313番を歌いました。
放蕩息子の物語をあらたな視点から思いめぐらしてみました。
聖書は不思議な書物です。読んだことのある箇所を読んで、新たな発見をすることがよくります。
パウロはキリストを宣べ伝えます。パウロは、異邦人つまりユダヤ人でない人たちを「信仰による従順」へ導くという使命を与えられました。「信仰による従順」とは何でしょうか。
1.聖書に聞く 聖書を読む時のポイントとして二つのことを紹介しました。 神はいかなる方かを知る。 神がキリスト者に求める生き方を知る。 これをAと呼びます。 2.自分を思いめぐらす 次に自分について思いめぐらします。 自分はどんな状況にあるのか。 …
私が聖書を読む二つの目的の紹介です。生きるために読む、神の導きを得るために読む、です。
マルコ福音書16章1~8節、イエス様の復活記事を読んでの黙想です。
十字架につけられ、人々からあざけられた主イエスはどんな気持ちだったのでしょうか。
十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうイエス様。どんな気持ちで十字架を背負っていたのでしょうか。
受難節を過ごしている今、イエス様はどんな思いで苦難の時を過ごしておられるのか、思いめぐらしました。
ゲッセマネの園で祈るイエス様は弟子たちに「目を覚ましていなさい」とお命じなりました。しかし弟子たちは寝入ってしまいました。
ゲッセマネの園でイエス様が祈る場面を思いめぐらしました。一番印象に残ることは、イエス様が恐れもだえたこと、そして「死ぬばかりに悲しい」と言われたことです。
主イエスが弟子たちにパンとぶどう酒を与えたのは何のためだったのか。三番目の意義について紹介
主イエスは弟子たちと最後の食事をしました。その中で弟子たちに裂いたパンを与え、杯を与えた主イエス。何のために?
今年の受難節はマルコ福音書を読んでいます。今日は14章10~11節。ユダの裏切りの場面です。イエス様の弟子の一人、イスカリオテのユダはイエス様を裏切り、イエス様を引き渡そうとして祭司長たちのところへ出かけました。そしてイエス様を引き渡す機会を狙…
クリスチャンを迫害したのは間違っていた。神の御心に反していた。自分はどこで間違えたのか。
復活のキリストを示されたパウロ。キリストが救い主と知らされたパウロの思いは?
使徒パウロは「完全な者になりなさい」と勧めます。驚くような勧めです。どう受けとめたらいいのでしょうか。