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隠退牧師 holala によるブログ

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(5)恵みに満ちた神の愛

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 神は何のために独り子を世に送られたのでしょうか。それは世の人々を救うためでした。私たち人間は神の目に罪を犯して生きており、裁きを受け滅びを受ける者です。この私たちを救うために神はその独り子は世に送り、十字架の上の死へと導きました。

 昔イスラエルの民が、エジプトでの奴隷状態から神によって救われ、彼らは神の民となりました。神は彼らの神となることを約束され、イスラエルの民は神の民として生きることを約束しました。こうして神と民との間に契約が結ばれました。イスラエルの民は神との関わり、神との交わりに生きる者となりました。神によって選ばれた民となりました。

 彼らが罪を犯したときは、動物のいけにえをささげ罪のあがない(償い)をするように神はお定めになりました。神は罪を犯したままの人と交わりを持つことはできません。罪を犯した人を愛し、その神となることはできません。罪を犯した人がいけにえを献げ、罪を悔い改めるとき、神との和解がなされ、神との交わりが回復されます。

 神は独り子、御子を世に送り、御子は十字架の上であがないのいけにえとして死にました。御子が自分の罪のためにいけにえとして死んでくださったと信じ、悔い改める人と神は和解し、神との交わりに招いてくださいます。罪のゆえに滅ぶべき人は罪の赦しを得、義とされ、神との交わりに回復され、神の子として生きていくことが許されました。

 本来、罪を犯した人が罪の赦しを得るべくいけにえを献げますが、神は独り子、御子を十字架につけ、罪をあがなういけにえとしました。罪を赦す側の神がいけにえを献げるというのは論理的におかしいことです。しかし人間は何をしようと自分を罪から救うことはできません。そこで神は独り子を世に送り、人間を救いさらに私たちを神との交わりに招いてくださいます。私たちは神の恵みによって罪赦され、義とされ、神との和解を受け、神との交わりに生きる者とされました。神は独り子を世に送り、十字架につけ、私たちを救ってくださいました。この救いは恵みです。

ローマ5:1
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、

 私たちは神との間に平和を得て、生きることができます。罪を責められることはなく、罪のゆえに神の裁きが来るのではないかとの恐れからも自由にされ、平和な歩みを与えられています。神の恵みとしての平和です。

 神の愛は恵みに満ちた愛です。そして滅びに値する者に対する神の恵みの賜物は永遠の命であるとヨハネ3章16節は語ります。

 救いに導いてくださった神は私に良き助け手としての妻を与え、福音宣教者としての使命を与えてくださり、数え切れないほどの恵みを与えてくださいました。神の愛は恵みに満ちた愛です。

金沢、浅野川沿いのフジバカマ