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ヨハネ3章16節を思いめぐらす(4)人間を見捨てない神の愛

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 神は世を愛されたとあります。世は、この世界に生きる人々を指しています。神はこの世に生きる人間を愛されたのです。その証拠に、独り子をお与えになったというのです。神の御子が人となり、滅ぶべき人間を救う働きをなさったいうのです。

 創世記の最初に神が人間を創造されたことが書かれています。最初の人間であるアダムとエバは、神の戒めに逆らい、取って食べてはいけないと警告された木の実を取って食べてしまいました。彼らには2人の子が生まれましたが、兄のカインは弟のアベルを殺しました。人間は滅びても仕方のない存在だと思わせられます。神に逆らう夫婦、兄弟殺しをするその子たち。人類の未来に希望が見えるとは言えません。

 新約聖書には、イエスは世の終末の時にこの世界に今一度おいでになり、人間を裁くことが書かれています。その裁きにおいて、ある人は救いへ、ある人は滅びに定められます。「正しい者はいない。一人もない」(ローマ3:10)。人は裁きの結果、滅びに定められるのです。しかし神はその滅びに値する人をなお救おうとし、御子を世に送られました。

 神は正しい神ですから、罪を犯す者を裁き、罰を与えて当然です。滅びに値する人間を神が見放し、見捨てても、当然のことです。人間の世界では、親が子に親子の縁を切るということが起きます。子が親の期待を裏切り続けるので、親はこれ以上失望、悲しみを味わいたくないので、親子の縁を切り、子のことで悩まないようにするわけです。

 しかし神は、滅びに値するような人間を救いたいと考えるのです。見放したり、見捨てたりしないで、何とか救いたいと考えるのです。なぜでしょうか。どんな人間であろうと、救いに値しないような人間をも、神は救いたいと願うのです。神は人間を深く愛しているからだと信じます。神の愛はそれほどに大きいのだと信じます。

 そもそも神が人間を創造されたとき、神は人間をご自身の形に、ご自身に似せて造られました。その理由は、人間が神と関わって生きることを願われたからです。神は人間を愛し、人間もまた神を愛して生きることを神は願われました。人間が神との交わりに生きることを神は願われました。この神の思い、これは中途半端なものではありません。神の方から人間を見放し、見捨てることは決してしないほどに神は人間を愛していると私は信じます。滅びに値する者をも救おうとするのです。

近くの里山で 野菊