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隠退牧師 holala によるブログ

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(1)滅びについて

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 ここに「滅び」とあります。具体的にどういうことでしょうか。ヨハネ福音書は、「滅び」について具体的に語っていません。

 言うまでもなく、3章18節が語る救いとは、この「滅び」からの救いです。私たちが罪を犯す結果、私たちは滅びる者となってしまいました。ヨハネ福音書は裁きについては次のように語っています。

5:28~29
驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。

 いわゆる最後の審判のことが語られているように思います。この箇所では、悪を行った者が裁かれることは語られていますが、裁かれた結果どうなるのかは語られていません。
 イエスは、マタイ福音書25章で、最後の審判について語ります。

マタイ 25:31~34
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

 右側に分けられた人は国を受け継ぐとあります。神の国に迎えられることを意味します。

25:41
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
 

 ここでは、滅びとは、「永遠の火に入る」(マタイ25:41)ことだと言われています。罪を犯した者が行く先は「火と硫黄の燃える池」(ヨハネ黙示録21:8)、「火の地獄」(マタイ5:22)、「地獄」(ルカ12:5)。滅びる者の行く先は、はっきりとは書かれていません。私たちはそれを正確に知ることはできません。それは問題ではありません。大切なことは「救われる」ことであると考えます。

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