聖書は滅びとはどんなものなのか、具体的に語っていないように思います。でも滅びることへの恐れがあれば、救いを求める真剣さも生まれるのではないかと思います。
ルカ福音書16章19節以下の「金持ちとラザロ」というたとえの中で、死んだ金持ちが陰府でさいなまれていること、炎の中でもだえ苦しんでいること、が語られています。これはたとえとしての話しなので、滅びとは、地獄の炎の中でさいなまれることと考える必要はないと思います。しかし滅びは、恐ろしいものだと教えています。
私は、主イエスが十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と祈られたことを踏まえ、滅びとは神に見捨てられることと考えています
私は幼いときから死の恐怖を感じてきました。神を信じるようになり、死の恐怖は神から見捨てられることを無意識のうちに恐れていることだと考えるようになりました。この恐怖を味わったおかげで、私は信仰に導かれたので、幼いときの辛い経験を恨む思いはありません。
マタイ 1:23
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」。この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
「神は、その独り子をお与えになった」ことは「わたしはあなたと共にいる」との神の呼びかけであると受けとめます。「わたしはあなたと共にいる」、これは本当にうれしいメッセージです。