クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

目を覚ましていなさい

ゲッセマネの園で祈るイエス様は弟子たちに「目を覚ましていなさい」とお命じなりました。しかし弟子たちは寝入ってしまいました。

神の悲しみは神の喜びに

イエス様の「し死ぬばかりに悲しい」悲しみは、人間の罪を悲しむ神の悲しみ。神の悲しみはやがて神の喜びへ。

関係に生きる私たち

人は関係の中に生きる存在です。関係を言い表す言葉で互いに呼びます。

ウクライナの子供たちを覚えて

天の父なる神さま ウクライナの子供たちのために祈ります

人の弱さと許し

質問 イェスの教えは人の弱さを理解しそれを許すことですね。 我々にもできるのでしょうか。

ウクライナを覚えての祈り

+ ロシアの軍事侵攻に対して戦うウクライナを覚えての祈り

自分の弱さを知っていい

弟子たちは皆つまずくと主イエスが語ったとき、弟子たちは「そんなことはしない」と否定しました。

死ぬばかりに悲しい

ゲッセマネの園でイエス様が祈る場面を思いめぐらしました。一番印象に残ることは、イエス様が恐れもだえたこと、そして「死ぬばかりに悲しい」と言われたことです。

主の晩餐(つづき)

主イエスが弟子たちにパンとぶどう酒を与えたのは何のためだったのか。三番目の意義について紹介

主の晩餐

主イエスは弟子たちと最後の食事をしました。その中で弟子たちに裂いたパンを与え、杯を与えた主イエス。何のために?

ロシアの軍事侵攻に抗して

ウクライナへのロシアの軍事侵攻を覚えて祈ります。

パウロの考える洗礼

私たちは洗礼を受け、クリスチャンになりますが、パウロは洗礼を通して、私たちはキリストに結ばれると書きます。

いつ死んでもいい(補足)

いつ死んでもいいという心境に近づきました。といっても死期が近くなったわけではありません。

いつ死んでもいい

「いつ死んでもいい」と題して3回目の思いを書きました。

老人の思い

ぼんやり時を過ごしていると、自分は何をしているんだろうというような思いが湧いてきます。

ユダに芽生えたイエスへの不信

今年の受難節はマルコ福音書を読んでいます。今日は14章10~11節。ユダの裏切りの場面です。イエス様の弟子の一人、イスカリオテのユダはイエス様を裏切り、イエス様を引き渡そうとして祭司長たちのところへ出かけました。そしてイエス様を引き渡す機会を狙…

パウロの思索

神から御子を示されたパウロの思索のあとを辿ります。

神の御心と向き合うパウロ(続き)

パウロの言葉は、パウロが神の御心を知り、御心に生きようとした人であることを感じさせます。

神の御心と向き合うパウロ

神から御子を啓示され、イエス・キリストが救い主と知ったパウロの心境の変化を追います。

ウクライナのための祈り

ウクライナのための祈り 天の父なる神さま 世界中を震撼とさせる出来事が起きました。・・・

わが身を振り返るパウロ

クリスチャンを迫害したのは間違っていた。神の御心に反していた。自分はどこで間違えたのか。

戸惑うパウロ

復活のキリストを示されたパウロ。キリストが救い主と知らされたパウロの思いは?

完全な者になりなさい

使徒パウロは「完全な者になりなさい」と勧めます。驚くような勧めです。どう受けとめたらいいのでしょうか。