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隠退牧師 holala によるブログ

完全な者になりなさい

 今日で第二コリントのディボーションが終わりました。第二コリント13章の最後には、礼拝の最後の祝祷の言葉が書かれています。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりがあなたがた一同とともにあるように」。


 この手紙の最後でパウロは勧めを書きます。

13:11
終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。

 ここで驚くのが「完全な者になりなさい」との勧めです。コリント教会は色々な問題を抱えていた教会で、パウロはいくつもの忠告を手紙に書いて送っています。「ねえねえパウロさん、完全な者になりなさいって、冗談でしょ。あんなに問題を抱えたコリント教会の信仰者が完全な者になれると本気で思っているんですか。悪い冗談はやめましょう」と言いたくもなります。

 私たちだって、自分が完全な者になるなんて不可能、無理と言ってこのパウロの勧めを無視してしまうのではないでしょうか。

 でもパウロは本気で「完全な者になりなさい」と勧めていると私は思います。人間として完全な存在、それはイエス様です。ですから完全な者になるとは、イエス様に似た者になることを意味しています。私たちが地上で、どんなに頑張っても100%イエス様に似た者になることはできません。だから完全な者になることを目指すとは、目指す努力をし続けることと私は考えます。どれほど達成したかは問題ではなく、努力し続けることと考えます。私はそうして生きてきました。

 「あなた、それで完全な者を目指しているってよく言うわね」と人から言われるかも知れません。他人がどんなことを言っても関係ありません。私は神さまの前に一歩一歩歩むだけです。「できません、無理です」という言葉は口が裂けても言いません。言った途端、信仰者としての成長はストップします。

 私たちは神の国に迎えられたとき、復活しイエス・キリストに似たまことの人間とされ、神の国の住民となります。そこで神の御国を目指し、すこしでも神の国にふさわしい者を目指すわけです。

 この最後の段落はとても大切な教えに満ちています。「励まし合いなさい」とあります。完全な者を目指す歩みを信仰の兄弟姉妹と一緒に目指し、励まし合うことを教えられます。私たちは独りで生きるのではありません。仲間がいれば、くじけるときは励まされるし、もう一度立ち上がることができます。また仲間を励ますことができます。

 たとえば、共に聖書を読んで感想を分かち合うことから始めるのはとてもよいと思います。ひとりで聖書を読み続けても、刺激がありません。感想を分かち合えば、共に聖書を読み続けようと促されます。聖書を読むということは小さな歩みかもしれませんが、信仰生活の基本であり、土台です。また祈りの課題を共有することもよいと思います。このような仲間がいるだけで励まされるし、仲間と共に歩む、それが完全な者を目指す歩みになります。

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