クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

子と父と若者(続きの続き)

ヨハネ一 2:14
子供たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが御父を知っているからである。父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが、初めから存在なさる方を/知っているからである。若者たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、/あなたがたが強く、/神の言葉があなたがたの内にいつもあり、/あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである。

 父たちとは、成熟した信仰者を指します。そして「初めから存在なさる方を知っている」とあります。天地の創造主なる神を知っているという意味ですが、父たちは、神が何のために天と地を造られたのか、その計画を知っているということであり、さらにその計画に生きているということです。

 それでは神の計画とは何でしょうか。たとえばエフェソの信徒への手紙にはこう書かれています。

エフェソ 1:4~6
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。 

  神はキリストを信じる者を聖なる者、汚れのない者として神の子にしようとされたということ、これが神の計画です。次の聖書の箇所もこの神の計画と同じです。

テサロニケ一 5:23
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。 

  キリストが再臨される終末の時、私たちは非の打ち所のないもの、まったく聖なる者とされます。これが神の計画です。神さまが世の初めに決められた救いの計画があります。この計画を知り、聖なる者としての完成を目指して歩む、それが「父たち」です。父たちは、神の救いの計画を知らされ、この計画に参与して生きる人たちです。

コロサイ 1:26~28
世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。このキリストを、わたしたちは宣べ伝えており、すべての人がキリストに結ばれて完全な者となるように、知恵を尽くしてすべての人を諭し、教えています。 

  パウロはキリスト者となった者たちが、完全な者となるように諭し教えていると語ります。パウロはコリント教会宛の手紙ではこう語ります。

コリント一 2:6~7
しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。

 神の救いの計画、それがここでは「神秘としての神の知恵」と言われています。ヨハネの手紙の中で、ヨハネは父たちの歩みを描いています。そしてそれは私たちキリスト者の目標です。

ヨハネ一 3:2
愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。 

  父たちは、御子が聖いように、自分を清める努力をして信仰の生涯を歩みます。

 以上のことを読んでどう思われたでしょうか。大事なのは、このような神の計画が聖書で明らかにされていることを知ること、そしてたとい一歩でも二歩でもいいので、聖なる者を目指して生きることです。私はそう信じています。大事なのは、どれほど聖なる者にされたかではなく、聖なる者を目指す努力を続けていくことだと考えます。自分がよく犯す罪に一つでも、二つでも、打ち勝ち、聖なる者とされていきましょう。

 

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