クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

父の独り子の栄光を見た

栄光を見るってどういうことでしょうか。栄光を見ると言っても、肉眼で見るわけではなく、見るなら心の目です。

恵みの上に恵みを

ヨハネ福音書に私たちは「恵みの上にさらに恵みを受けた」とあります。私はどんな風に恵みを受けたのか。

クリスマスに思う(7)天上での対話-2

天地の造り主なる神は何を考えて世界を創造されたのでしょうか。思いめぐらしました。第二回目。

クリスマスに思う(6)天上での対話-1 

天地の造り主なる神は何を考えて世界を創造されたのでしょうか。思いめぐらしました。

私もキリストの証人

ヨハネ福音書には神から遣わされたヨハネは光について証しするために来た、と書かれています。私もキリストの証し人として語ってみたいと思います。

クリスマスに思う(5)神が人となった舞台裏の続き

パウロは「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず」と書いています。キリストはいつ、「固執しようとは思わ」なかったのでしょうか。

クリスマスに思う(4)神が人となった舞台裏

神は人となられたと言われても戸惑います。聖書の言葉をもとに黙想してみました。

クリスマスに思う(3)神が遣わす救い主

だれが全人類の罪の償いをすることができるでしょうか。現実の人間は、自分自身罪を犯します。全人類の罪の償いをできる人は、全く罪のない人だけです。

クリスマスに思う(2)待ち望まれる救い主

旧約聖書は人間の罪を明らかにします。そして救い主を待望します。

クリスマスに思う(1)救い主の到来

今度の日曜日は教会でクリスマス礼拝が行われます。神さまは救い主をこの世に送り、私たちのために救いの御業を行われました。そもそも神さまは、なぜ救い主をこの世に送られたのでしょうか。

信仰の原理

信仰生活でやっかいなのが「実感」です。実感がないとなかなか信じられないと問題があります。信じたいけど信じられない、信じられないけど信じたい、と悩みます。

神の子という資格

言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。罪を犯すクリスチャンは、神の子といってよい?

神の愛の深さ

旧約聖書には、神の掟として人が罪を犯した場合、いけにえを献げて神に赦しを求めることが命じられています。これは何を意味しているのでしょうか。

祈祷会での証し 2021.12.8

生きるのに疲れたという思い、自分は何のために生きているのかという思いで目覚めるのは一種の老人病と考えてよいのではないかと考えました。

神が用意された道

人は自分の犯した罪に対して自分で償いをすべきだし、身代わりなんておかしいと語る人もいます。でも聖書はなぜ、イエス・キリストが身代わりになったと語るのでしょうか。

身代わりという考えは妥当か?

イエス・キリストは十字架の上で、私たちの代わりに神の怒り、神からの罰を受けられたと聖書は語ります。身代わりの思想は適切なのでしょうか。

クリスマスの恵みを考える(4)

神の愛に深さがあるならどれほど深いのでしょうか。その深さは測ることができないようです。

クリスマスの恵みを考える(3)

イエス・キリストは神であるのに人となりました。なぜ人となられたのでしょうか。その答えは、人間を愛しておられたからです。

クリスマスの恵みを考える(2)

キリストは神であるのに人となりました。これはどういうことでしょうか。たとえで考えています。

クリスマスの恵みを考える(1)

イエス・キリストは神であるのに人となり、人を救うために十字架で死なれました。神が人となり、人のために死ぬ、こういうことでしょうか