クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の子という資格

 アドベントの季節、ヨハネ福音書の1章を黙想しています。今日は6~13節です。12節にこう書かれています。

しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

 言はイエス・キリストと置き換えてもさし支えありません。言を信じる者、すなわちイエス・キリストを信じる者は、神の子となる資格を与えられたとあります。資格を与えられたとあるので、イエス・キリストを信じる人は神の子であると聖書は語っていると思います。

 クリスチャンは神の子であると聖書は言うわけですが、クリスチャンとなっても私たちは罪を犯すことがあります。すると自分は神の子と信じてよいのか、疑問に思ったりします。いくつかクリスチャンが抱きそうな思いを書いてみました。

  • 私は罪を犯すことがあるけど、聖書が言うとおり、私は神の子であると信じる。
  • 私は罪を犯すことがあるので、聖書は神の子だと言うけど、やはり私は罪人であると思う、そう考える方が違和感がない。
  • 私は罪を犯すことがあるので、聖書の言葉は私には当てはまらない。私が神の子だなんてとんでもない。私は罪人。
  • 神の子とされたなら、罪を犯さないはずだ。私は罪を犯すことがあるから、神の子であるはずがない。
  • 神の子とされたけど、罪を犯すことはある。でも聖書が言うとおり、私は神の子であると信じる。
  • 神の子とされたのに罪を犯してしまう。私が神の子とされているというのは、おこがましく感じる。
  • あなたがキリストを信じたのだから、あなたが罪を犯したとしても、私(神)はあなたを神の子として接するよ。
  • あなたがキリストを信じたのだから、私(神)はあなたを神の子として接するよ。でも何度も罪を犯すなら、あなたを神の子として接するか、考え直すかも知れない。
  • 自分が罪を犯す罪人であることは認めるよ。でも僕は信仰者だから、神の子とされていると信じるよ。

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今頃実るドングリ