holalaのブログ

隠退(引退)牧師holalaのブログです。

もっと遠くを見て

 毎週『インハンド』というドラマを見ています。第一回の番組の最後で主人公が語った言葉に僕は励まされました。それは医師をやめて主人公の助手となる人の言葉

「医者は無力だ」

に対する言葉です。

確かに僕らは無力だよ。
今打つ手がなく目の前で
死んでいく患者に対しては。
だけど未来に対してはどうだ。
センメルヴェイスは150年以上も前に
医者の手洗いは産褥熱に対して
予防することを発見したけど
学界で認められず
精神病院に入れられて死んじゃった。
でもおかげで
僕らは今手を洗うだろう。
僕らが今いい治療を受けて
健康に生きているのは、
過去の研究者が研究を続けてきたからだ。
僕らもそうすればいい。
もっと遠くを見て
100年後か200年後か。
誰も無力じゃない。僕も君もね。

 日本の伝道は思うように進展していない。教会は高齢化し、若い人が少ない。どのように伝道したらいいのかわからない。しかも自分はもう牧師の務めを隠退した。もう自分は無力なのか、そんな思いが心の片隅にある僕に対して、励みの言葉でした。

 僕らもそうすればいい。
もっと遠くを見て
誰も無力じゃない。
僕もholala君もね。

 

 

 

聖霊の導きを求めて(3)

 私が鳥羽教会に赴任したのは、1981年4月でした。鳥羽教会には8年仕えました。神学校卒業して赴任したいわば新米の牧師でしたが、赴任して間もなく会堂建築に取りかかりました。私が赴任する以前に、土地を取得しており、移転することになっていたのです。会堂建築に着手し、忙しい日々を過ごしました。4年は古い会堂で、後半の新しい4年は新しい会堂で過ごしました。

 新しい教会に移ってしばらくしてクリスチャン夫妻が礼拝に出席するようになり、ある時、転入会を申し出られました。お二人が属していた教会は、異言を語る教会でした。信仰者のアイデンティティーとして聖霊バプテスマを受け、そのしるしとして異言を語ることを特徴とする教会のようでした。地方は教会が少なく、同じ教派内の別な教会に移るといっても教会が見つからない場合があります。地理的な関係でやむを得ず、お二人は鳥羽教会の礼拝に出席され、転入会を申し出られました。

 その頃は、聖霊バプテスマについて、少しは勉強しましたので、聖霊バプテスマを主張し、異言を語ることを信仰表現としている教会のあることは承知していました。私が所属する日本基督教団では、異言を語ることはしませんし、異言の賜物を求めることもしません。それで「異言」については、教会の中で話題にしないことを条件にお二人を教会員として受け入れました。

 求道者の時の異言の祈りの集会、牧師となって最初の年の地区の夏季キャンプをきっかけに「あなたの話には力がない」と書かれた手紙に添えられた書物、そしてクリスチャン夫妻の転入会、どれにも共通しているのは、聖霊バプテスマとそのしるしとしての異言でした。

 このように、私にとって聖霊を考えるきっかけは、聖霊バプテスマ、そのしるしとしての異言、でした。しかもそれは自派の教会では関心が向けられない事柄でした。

 記憶は定かではありませんが、たぶん鳥羽にいたときだと思います。『朝の九時』(デニス・ベネット著、生ける水の川出版)を読みました。これは聖公会の司祭のデニス・ベニス氏が聖霊バプテスマを受け、異言を語るようになり、その信仰が変えられた次第、そしてその後の活躍を紹介した物語で、それなりに興味深いものでした。

 鳥羽時代、さらに大きな経験が待っていました。

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久しぶりのニガナ

 

 

聖霊の導きを求めて(2)

 牧師となって最初に赴任したのが三重県の鳥羽教会でした。赴任した最初の夏(もしくは翌年の夏)に三重地区の中高生のキャンプが行われました。私もスタッフとして参加しました。夜、ホタルの乱舞を見たのが心に残っています。

 このキャンプの最終日、昼食を食べ終わった人から自由に解散です。皆が食べ終わったとき、年輩の先生がテーブルの上を雑巾がけをしているのを見て驚きました。それは牧師の仕事ではないと若い私は考えていたのです。しかし率先してなさっている姿を見て謙遜に仕えるということを私は教えられました。この点でこのキャンプは忘れられないキャンプでした。

 しばらくして、一通の手紙が届きました。それは夏のキャンプに生徒を引率して参加していたS教会のCSの先生からでした。そこには「あなたの話には力がありません。聖霊を受けてください」と書かれており、一冊の本が同封されていました。『聖霊の現れ』(ロバート・フロスト著、生ける水の川出版)という本でした。聖霊バプテスマを受け、聖霊の賜物として異言を語るようになることが書かれていました。洗礼者ヨハネは、イエス様は聖霊によるバプテスマを授ける方であると語っています。この聖霊バプテスマを受けるように促す手紙でした。

 異言と言えば、前回、求道中の時訪れた教会の祈祷会で、参加者が皆異言で祈っていることを書きました。その時は何でそんな祈りがなされるのか分かりませんでしたが、この本を見て、異言で祈っていたのかと思いました。でも正直、手紙の内容を見て、いい気持ちはしませんでした。自分に対する批判を受け入れるほど私はまだ成長していませんでした。

  本を読んでみると、聖霊に関連する聖書が次々に引用され説明がなされていますが、私にはピンときませんでした。聖霊を理解するには、私が未熟だったのです。

 考えてみると、他教会の牧師に対してこのような手紙をよく出せるなと思います。普通、思っても口にしないし手紙に書くこともしないと思います。神さまの導きなのでしょうか。

 

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会堂建築以前の鳥羽教会の玄関。

 

 

根本的転換の必要

 ルカ福音書のディボーションが終わり、今日はヨハネ福音書1章1~3節を読みました。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

 これを読み思いめぐらしていた時、とんでもないことに気づいてしまいました。私の物事の考え方が実は逆転していることに気づかされたのです。私は、自分を出発点として物事を考えていました。自分を出発点として神をそして信仰を考えていました。でもそれはとんでもない間違いだったのです。

 「初めに言があった」。この「初め」は、そもそもの初めです。初めに言があったのです。そしてその言によって万物ができました。私自身は、その万物の一つにすぎません。まず言があり、その言によって、私が存在するのです。言が先にあるのです。神がおられ、その意志が言となって万物を生み出し、私も存在するようになったのです。私が物事を考えようとするなら、まず神を出発点とするのが順序です。神が出発点となるべきです。私は神によって存在しているのですから。
 しかし私は、自分を出発点として物事を考えていたのです。考え方が逆転しているので、問題が生じてきます。

 終末の事柄をどうしたら本気で信じることができるのかは、私の課題でした。現代人の私としては終末の事柄は絵空事に思える面があります。しかし私は信仰者。信じる立場にあります。どうしたら終末の事柄を信じることができるか、そんなことを考えてきました。でもそれが間違いだと気づきました。

 私は神が造られた世界に生まれたのです。終末がある世界に生まれたのです。終末をどのように信じることができるのか、という問題の立て方は間違いなのです。どうしたら信じることができるのかという考えは傲慢な考えです。自分が信じられないことが起こる世界はおかしいというようなものです。それは神に異を唱えるようなものです。終末のことを本気で信じたいのなら、信じさせてくださいと謙遜に祈るべきなのです。自分を出発点として物事を考えるからこのようなことが起きます。

 自分を出発点として物事を考えるのではなく、神を出発点として考えること。

 神さま、私の間違いに気づかせてくださり、感謝します。

 

死を思い 生を見つめる

 5月12日の朝日新聞に興味深い記事があった。「死を思い生を見つめる」とタイトルがあり、読者からの投稿が紹介されていました。

 誰もが迎える死。私たちは、どこまで心の準備ができているのでしょうか。死を覚悟するようになったきっかけ、支えにしているものなど、様々な声が寄せられました。新聞に掲載されていた投稿の一部を紹介します。 

きっと実際に死ぬ直前は「嫌だー死にたくない」と叫ぶのだろうが、死んだらただの物質だと思うと、なんてことないなと思う。(女性50~54才)

両親や身近な人に死に触れる中、死が恐ろしいもの、特別なものという意識は薄れてきた。生き続けることの方が、はるかに大変で難しく恐ろしいことのように思うう。(女性55~59歳)

私立高校で倫理を教えている。父をみとり、死は怖くはなくなった。昨年、初期の胃がんで手術。術後、麻酔がさめて目覚めると、新しく生まれ変わったような感じがした。治療後、ラテン語の「メメント・:モリ」という言葉が心により響くようになった。「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」というような意味。一日一日を、後悔なく生きることを心がけている。生徒とも一緒に、生と死について考えている。(男性64歳)。

やはり死は怖い。苦しむのが怖いのか。この世を去るのが怖いのか、忘れられるのが嫌なのか。(男性70~74歳)

 投稿から集計したのでしょうか。「覚悟ができている人は478人。できていない人532人」と報告がありました。親しい人の死を看取り、死は怖くなくなったと語る人が案外多いように思います。神社仏閣で手を合わせている人の多さを見ると、日本人は宗教心とは別に天国・極楽・浄土などの来世を信じているのか、と思わされます。

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沢山の人が訪れています。東大寺

 私自身は、小さい頃からメメント・モリで生きてきました。そして今聖書を読みながら、死を越える希望を確かにしようとしています。最近思いめぐらして聖書の箇所は、コリント一13章12節です。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

 

説教者はクリエーター?

 最近私は、勉強している時はクラシックの音楽を聴くようにしています。私の妹のご主人がクラシックのファンで所有しているCDのコピーを送ってくれているからです。私も若い時は、結構クラシック音楽を聴きました。昨年の12月頃から聴き始め、今では二百枚ほどのCDを聞きました。一心に耳を傾けて聞く時もあればBGMとして聞く時もあります。そして思うことは、作曲家は無から有を創造するクリエータなのだと。私はどの作曲家のどの音楽にも敬意を払うべきだと思うようになりました。

 今日はハイドン弦楽四重奏を聴いていました。説教の準備をしながら聞いていたのですが、あるメロディーが流れてきた時、体が反応しました。そのメロディーは私の心に深く刻まれていたものでした。思い出すこともない忘れさられたメロディーでしたが、一瞬のうちに記憶が呼び起こされました。じっくり耳をすませて聞いていると静かな感動が心に満ちました。こんな経験が時々あります。失われた宝を見つけ出したような気がします。今日感動したのはハイドン弦楽四重奏79番第2楽章ラルゴ。慣れている方はインターネットのyoutubeで聞くことができます。

 そして最近思うのは、説教者もクリエータではないか、と。説教者は無から有を創造するわけではなく、聖書のテキストをもとに説教を作ります。それは福音を証しする説教です。聖書の説明をするだけでは不十分です。説教者の生き様が問われます。どのように福音に生きているのか、福音に生きていることから生まれてくる言葉があります。その説教者のオリジナルな証しの言葉です。そういう証しの言葉のある説教を作りたいといつも願っています。

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建築物としてのお寺の本堂が僕は好きです。

死もまたイエスに倣う

 三日ほど前にルカ福音書の最後、主イエスの昇天場面を読みました。その時は黙想をして時間切れ。今日はその続き、適用です。主イエスは弟子たちの目の前で天に上げられ見えなくなりました。主イエスは目に見えない世界に行かれました。マリアから生まれ、十字架で亡くなりましたが三日目に復活し、そして見えない世界へ行かれました。

 私には一つの祈りがあります。年をとったからの祈りですが、自分の死を受け入れることができるようにとの願いです。神の国に迎えられるのだから、それでいいじゃん、との内心の声もありますが、より深く信仰的に納得したいとの思いがあります。

 今日は主イエスの昇天場面から、一つの思いを与えられました。主イエスはマリアから生まれ、使命を果たし、見えない世界へ行かれました。主イエスと同じように、私も母から生まれ、使命を果たし終えて目に見えない世界に行くと考えよう。信仰者らしい死の受けとめではないでしょうか。主イエスと同じように!

 聖書を読み、思いめぐらしながら、死を受け入れる備えができるのも恵みだと思います。祈りにこたえてくださった神さまをたたえます。


 今日は午後散歩しました。説教黙想をしながらの散歩です。いつも車で通る通りにあるお店で、その店の前に人だかりができているので、なぜかなと前から疑問に思っていたので調査をかねてです。道路とお店の間に駐車場があります。駐車場のわきに細い路地があります。路地の入り口にはフレンチレストランの案内があるのです。いくらはやるフレンチレストランでも午後二時頃に行列ができるはずはないので、不思議に思っていたのです。路地の入り口に立ってみると、右側にレストラン、左がその店でした。天然酵母で作った健康を重視したパンを売っているパン屋さんでした。これで一つ疑問が解決。

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校倉造りの正倉院