2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧
御子は御父によって世に遣わされることをどのように受けとめたのかと私は考えます。御父は御子に、「わたしはあなたを世に遣わしたいが、どう思うか」と御子の気持ちを聞いたと思います。
私たちの存在は、私たちを愛し、私たちの存在を願う神の愛のご意志によります。私たちは神のご意志によって、この世に誕生しました。
神の愛を知る手がかりは神が御子キリストを世に遣わし、御子を十字架の死に渡したことにあるというのです。神の愛はどのように示されているのでしょうか。
パウロは、「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望して」いると語ります。私の願いは、この世を去って、神を見ることです。
この世での生涯はいつの日か終わりを迎えます。それが遠くないことを感じる年齢になりました。信仰者としての大きな楽しみは、復活した時の自分がどんな自分なのかを見る楽しみです。
最近、味わうことを楽しみとするようになったようです。聖書、料理、讃美歌。
神の子とされたキリスト者は、神の御子に従う歩みをし、神の御子に近づく歩みをします。そして神の国に迎えられるとき、神の御子に似た者に変えられます。救いの完成です。
信仰生活の中で、どんな聖句に生かされてきたのか振り返ってみました。
信仰には「すでに」と「いまだ」という面ががあります。復活にも当てはまります。キリスト者は、「すでに」復活しているという面があります。
今週は詩篇139編を黙想しています。この詩篇には印象に残る言葉があり、親しみを覚えています。きちんと読んで黙想するのは今回が初めてです。
神の国で永遠の命に生きるとは、神の栄光を仰ぎ、、神をたたえることと言ってよいと思います。そして私たちも罪のないキリストの似姿に変えられ、神との永遠の交わりの中に生きることとなります。
聖書は、信仰とは、神との交わりに生きること、神と結びついて生きることと教えています。神との交わりを可能にするのが永遠の命です。
今日は奈良高畑教会で行われた葬儀に出席しました。大きな気づきを与えられました。
キリスト者は信仰を得たときから永遠の命を与えられています。そして肉体の死後も、永遠の命を持っています。永遠の命とは何なのでしょうか。
永遠の命とは、死んだ後の命であると考える人もいると思います。しかし聖書はキリスト者は永遠の命を得ていると教えています。
今週は詩編90編を読んでいます。以前から黙想したいと思っていた詩編です。
今日教会で葬儀が行われました。伴侶を喪った教会員へのフォローをどうしたらいいのか、それが問いとして心に残っています。
主イエスは天国を語るとき、タラントンのたとえを話されました。最後の裁きと結びつけて考えます。
十字架の上でのイエスの叫び,「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」を黙想しました。
未信者の家族の救いはどうなるのでしょうか。救われるのか、救われないのか。