2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧
ロシアがウクライナに軍事侵攻したとのニュースが世界中を震撼とさせました。大国が自国の都合で他国に侵略することは許されないと考えます。
そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストを知る素晴らしさとは?
最近のささやかな、そして思いがけない恵の紹介。
私は信仰を持つときには、それが信じるに足る根拠がなければならないと考えました。
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。パウロはどんな気持ちでこの告白をしたのでしょうか。
聖書の中で親しみを感じる第一の人は使徒パウロです。パウロとの関わりを振り返ってみたいと思いました。
私は祈るとき、次のような告白を時々します。「私はあなたが真実な神であると信じます」。これは不思議な告白だと思います。
一生懸命に必死に祈った祈りが聞かれない経験をすると、一生懸命に必死に祈ることにためらいを感じるようになるかもしれません。
老いを生きる者の思い。死と向き合う思い。
今日はマルコ福音書6章でイエス様が故郷のナザレにお帰りになり、安息日に会堂で教えられた箇所を読み、思いめぐらしました。
赦しなさいとのイエスの教えがあります。いつ、赦すのでしょうか。
賛美は力。老いを生きるとき、賛美を通して希望をたしかにしたいと思います。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのであるとイエス様は教えられました。
私たちは、自分は自由にものを考えていると思っているのではないでしょうか。しかし案外私たちは束縛されていると思います。
あらためて思います。老いを意識して生きることはストレスであり、緊張をもたらします。
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。
「死は虚無である」と語る人がいました。石原慎太郎氏。
多くの信仰者も自分の人生を振り返れば、神さまの導きを思い出すことができると思います。そこで思います。神さまが私たちを導かれるなら、いつも導かれて歩みたいと。
牧師として教会を変わり、さらには隠退をしました。そこにも神さまの導きがありました。
神さまの貴重な導きは、人との出会い、特に牧師との出会いです。