クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

平和はどこから

 ロシアがウクライナに軍事侵攻したとのニュースが世界中を震撼とさせました。大国が自国の都合で他国に侵略することは許されないと考えます。ロシアの言い分は色々あるかもしれませんが、他国を侵略することは一線を越えた行為であり、許されないと考えます。戦争が一刻も早く終わるように、人命が失われることのないように、ウクライナの市民の平和な生活が回復するように祈ります。

 あらためて聖書が語る言葉の真理を思います。

エフェソ 2:14~16
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

 キリストが宣べ伝えられたとき、教会にはギリシャ人もユダ人も信仰者となり、一緒に礼拝しました。ユダヤ人はギリシャ人を含む異邦人を律法を守らない罪人と軽蔑していました。しかし教会はキリストにあってこの両者が一つになりました。これはキリストが敵意を滅ぼしたからであり、キリストはどの時代、どの場所にあっても、敵意という隔ての中垣を取り除き、平和を生み出す方であるとのメッセージがここにあります。

 人間は自己中心的な存在であり、人間が互いに関わると争いを生じかねない現実があります。身近なところでは夫婦喧嘩、親子喧嘩があります。これがうまく解決されないと離婚となり、親子断絶が生じます。国家も同じで、どの国も自国を優先して考えるので、国家間での争いが生じるのは必然です。しかし人間は平和をつくる努力をしています。それは争いのない平和で、いつ破られるかわからない不安を抱えた平和です。真の平和を生み出すためには、他者よりも自己中心、他者よりも自己優先という人間の罪の解決が必須であり、キリストなしに真の平和が生まれないことを聖書は教えています。

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梅 散歩道 2022.2.25