クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

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聖書 ローマ3:21?26
説教 信仰によって義とされて
2018/7/22

→信仰によって義とされる、
これは繰り返し教会の中で語られてきたことだと思います。
繰り返し聞いてきたことですが、初心に返り、
このことの意味を聖書から学びたいと思います。


→このローマの信徒への手紙の最初に大切なことが書かれています。
1章16節には、

「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」。

福音は信じる者に救いをもたらす神の力だというのです。
福音は神の力、これは是非、心に刻みたいと思います。
さらに17節には、

「福音には、神の義が啓示されています」。

今日はその神の義がテーマです。


→このローマの信徒への手紙の1章18節には深刻な言葉があります。

「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、
神は天から怒りを現されます」。

不信心と不義に対し、神は天から怒りを表されるというのです。
神の怒りを受ければ人間は滅びます。
この神の怒りからの救いがこのローマの信徒への手紙のテーマになっています。
1〜3章は、ユダヤ人も異邦人も、つまりあらゆる国民もみな、罪の下にあり、
神の怒りを受けるべき存在であることが語られています。
そして今日の聖書は「ところが今や」と語り
人類の歴史が新しい局面に入ったことを告げています。
つまり、罪を犯し続け、
神の怒りを招いてしかるべき人間に対して、
神の救いのわざが起きたというのです。
イエス・キリストの出来事です。

21節。

「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました」。

「神の義」という言葉には二つの意味があります。
一つは、神が人間に与える「義」を意味します。
神はこの義を人間に与え、人間を義としてくださいます。
もう一つの意味は、神は「義」なる方、正しい方であることを意味します。


→「律法とは関係なく」。イエス・キリストを信じる者には、
神の義が与えられます。
神の義が与えられることと律法を行うことは、
無関係だというのです。
神から義とされるために、
律法・神の教えを守る必要はないというのです。
すぐ前の20節で「律法を実行することによっては、
だれ一人神の前で義とされないからです」とあります。
そもそも人間は完璧に神の戒めを守ることができず、
背いてしまう者です。
ですから人は、
自分の行いによって神の前に正しい人間になることはできません。


→「しかも律法と預言者によって立証されて」。
この「律法と預言者」は、旧約聖書を指します。
すでに旧約聖書で予告されていることが今や、
実現したというのです。
たとえば神さまはアブラハムに言います。
「地上の諸国民はすべて、
あなたの子孫によって祝福を得る」(創世記22:18)。
アブラハムの子孫とは、イエス・キリストのことです。
マタイ福音書の第一章には、
アブラハムから始まりイエス様につながる系図が書かれています。
イザヤ書53章には、救い主が苦しみを受けて死ぬこと、
自らを償いの供え物としたことが書かれています。
これはイエス・キリストの十字架で実現したと言うことができます。
このように旧約聖書は、
イエス・キリストによる救いを予告しているというのです。


旧約聖書に描かれたイスラエルの民の歴史は、
人間はみな罪を犯す罪人であることを明白に語っています。
最初に聖書を通読したとき、
イスラエルの民は何と愚かなのだろうと思いました。
やがて自分もその愚かな罪人の一人だと分かるようになりました。
旧約聖書は救い主の到来を待ち望んでいます。
そして今や、救い主が登場したのです。
そして神の義が示されたのです。
22節、
>>「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、