2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧
パウロは罪の赦しの先にあるものを見ています。イエスの語られた放蕩息子の物語は赦しの先にあるものを見せてくれます。
信仰によって義とされることを語る時、パウロは罪の赦しを語りません。なぜなのか、と思います。
今年の2月24日にロシアのウクライナ軍事侵攻が始まりました。そして5ヶ月が過ぎました。事態は見通しがつきません。ウクライナを覚えて祈り続けます。
イエスは死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、神に対して従順に歩まれました。この方が私たちの罪の償いの供え物として十字架で亡くなられました。
「信仰によって義とされる」とはどういうことなのか、考えたいと思います。
福音は信じる者に自由、解放をもたらすものだと思います。新約聖書に出てくる重要な解放は三つあります。罪からの解放、律法からの解放、死の恐怖からの解放。
祈祷会で賛美した讃美歌に共通点が。
現実の世界の中で信仰をもって生きることは簡単ではありません。色々な場面で罪との戦いがあります。教会に集う一人ひとりの信仰者が、それぞれの場で戦っています。
時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。
キリスト者は時に深刻な罪との戦いに直面します。神さまの御心に従いたくないという思いが、私たちの心にあるのです。
テレビで統一教会のことが話題となっています。私の人生に無関係なな団体ではないことを思い出します。
すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
キリストに結ばれた人は、キリストと共に死にます。罪に対して死に、罪から解放されます。
神さまは何のために人間を創造されたのでしょうか。創世記にそれを知る手がかりがあります。
神さまは目的を持って万物、人間を創造されました。その神さまのご意志を神学的には「永遠の聖定」といいます。
コロナ禍、実現できなかった妹を見舞うことができました。
用事があって東京に行ってきました。東京出身の私ですが、人の多さに驚くと同時に、沢山の人たちの中のひとりでしかない自分を感じます。
キリストに結ばれるとどうなるのでしょうか。キリストと共に葬られ、キリストと共に復活する。
キリストに結ばれた非違のことを聖書は、義人、神の子、新しく造られた者と呼んでいます。
ふっと思い出したのが助けを求めて叫ぶイスラエルの民のことです。私たちの世界でも、助けを求める叫びが聞こえます。
聖書が語ることが信じられない時があります。信じるべきだと思いつつも信じられない。そんな時どうしますか?