クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

老いを生きる

御言葉にゆだねる

聖書が告げる死を越える希望は、信じて大丈夫なのか、と思う自分がいます。

「外なる人」は衰えても

「老いるとは新しい経験をすることです」との老教会員の言葉を折に触れて思い出します。「外なる人」の衰えを色々な形で経験します。

讃美歌405番 神ともにいまして

讃美歌405番 神ともにまして を歌って思い出した事柄。

老いた自分の顔

鏡に映った自分との対話

これをするのはこれが最後

年を重ね、ああ、これをするのはこれが最後だと思うことがあります。そんな最後のこと。

新たな習慣に生きる老いの日々

新たな習慣を身につけながら生きる老いの日々。

再臨の主を仰ぐ

自分が死の床にある時、思いめぐらしたい聖書箇所が色々あります。その一つはマタイ福音書25章31節以下です。

ひそかな楽しみ

聖書には、自分が死ぬことを楽しみにしている人が登場します。私も見倣いたいです。

魂の渇きの癒やし

信仰に生きるとは、「命の神に、わたしの魂は渇く」ことに共感することではないかと思います。御国に迎えられるとこの渇きが癒やされます。

天の故郷

信仰者として神の国のイメージを思い描いて、いつの日か神の国に迎えられるのを待ち望みたいと私は考えています。

老いの試練

伴侶を失って始まる生活は老いの試練と考えます。だれもが直面します。

訃報を聞いて

日曜日の朝、訃報が届きました。訃報が届くたびに自分はどのような希望をもって生涯を閉じるのかと考えます。

箴言12章から

先日の夜の祈祷会では、箴言12章を読んで、印象に残った聖句を分かち合いました。私は皆さんが話すのを聞くことを優先して、自分が話すのは控えました。 で、私が印象に残った箇所を紹介します。聖書は、聖書協会共同訳です。 11節自分の土地を耕す人はパン…

ひとりごと

気づいてみればもう76歳。 でも不思議、毎日聖書を読まずにはおれない。・・・

体の衰えを実感

75歳を過ぎて衰えが進んだように思います。筋肉の衰えによる痛みを感じるようになりました。

礼拝説教 私たちはキリストのもの

先日、無牧の教会の礼拝説教奉仕をしました。 旧約 詩編 23編 新約 ローマ 1:1~7 説教 私たちはキリストのもの

老いという重荷

2,3日前から、老いを生きるのって重荷を負うことではないか、と思うようになりました。

讃美歌284番 主のとうときみことばは

私はある時、この世の中で最も信頼できるものは何かと考えました。最も信頼できるものに出会い、それに基づいて考え生きるなら、自分の歩みは確かになると考えました。

老人と生き甲斐

老人とのしての私は明日死ぬことになっても当然だという思いを持ちながら、しかしまだその時ではないとの思いを抱いています。・・・

葬儀に出席しての気づき

今日は奈良高畑教会で行われた葬儀に出席しました。大きな気づきを与えられました。

老人キリスト者の特権

今週は詩編90編を読んでいます。以前から黙想したいと思っていた詩編です。

讃美歌21 368番「新しい年を迎えて」

元旦礼拝で、「新しい年を迎えて」という讃美歌を歌いました。ふと思い、youtube でこの曲を聞きたいと思いました。すると。

讃美歌404番(山路越えて)

讃美歌404番(山路越えて)には心惹かれるものがあります。「みちけわしく ゆくてとおし こころざすかたに いつか着くらん」。

主と共にある平安の日々

月曜日のブログに「毎日単調な日々を過ごしていると、ふと自分は何のために生きているのだろうという思いが心をよぎります」と書きました。新たな思いが来ました。

老いの中にあって

先日眼科医に行き、眼瞼下垂の症状があることに気づき、紛れもない老化の現実を見る思いがしました。

老いて初めての経験

老いて初めて経験することって色々あります。今回の経験は?

老いの恵み

老いを生きる恵みとは何か、考えさせられるこの頃です。老いは一つの弱さです。しかし弱さがあるゆえに神との関わりが真剣になるのは恵みだと思います。

ただ主を思う

讃美歌11番 生くるも死ぬるも、ただ主を思う ゆるがぬこころを あたえたまえ

訃報が続く

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)。訃報を聞くことによって何が始まるのでしょうか。

老いてはじめて気づくこと

老いて初めて気づくこと。老いを生きる者への励ましと慰めの歌詞。