老いを生きる
聖書はメッセージを発する書物です。この世界には終わりがあり、キリストがもう一度この世界に来られると聖書は告げます。
運転免許証を返納することにしました。
「いつでも死ねるために生きる」。今読んでいる本の中にある言葉です。この言葉を思いめぐらしました。
老いの中にあって牧師としての働きを振り返り、自分を励ます必要を覚えます。
死を越える希望を確信するためにもがき、いろいろ試みています。「待ち望む」ということを考えています。
外出をすると、ここは自分のいる場所ではないと思うことがあります。そこは「この世」が満ちています。
置いた人間の生き甲斐とは何でしょうか。神の視点で生き甲斐を考えるとは?
カトリックの司祭、ヘンリ・ナウエンの考えに共感できる部分がありました。彼の本を読んでみたいと思いました。
『恵み』という賛美の歌詞に「この世に生まれたことは恵み」とあります。このように告白できるのか否か。
病院の待合室で診察を待っているとき.突然御言葉が迫ってきました。パウロの祈りと神の答えです。
「死も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」。キリスト者の希望です。
自分の老い先を考えると時に不安になります。神に信頼し、神にゆだねるのがよいと教えられました。
世を去る時が近づいたことを知るパウロは義の冠を得ることを期待しています。キリスト者も義の冠を受けると励まします。
老いに生きる中での不安を神に打ち明ける神との対話の祈りをしました。
聖書によれば、イエスが再臨し、終末が到来し、すべての人が神の審判に前に出ることが示されています。
黙示録の言葉。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」。慰めに満ちた言葉です。
祈りを神との対話と考え、自分の祈りの充実を目指します。
私にとってアブラハムは信仰の模範です。彼は天の故郷を熱望していました。わたしもそうしたいです。
ローマ 14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
「栄光から栄光へ」というワーシップソング。キリストに似た者となるという信仰の目標を与えられました。
パウロは、「世を去ってキリストと共にいたい」との願いを表明しています。今、世を去ってもいいとさえ思っています。このパウロの願いにびっくりします。
私は聖句をもとに死後の希望、楽しみを抱くようにしています。
古代の神学者にアウグスティヌスがいます。彼の書いた『告白』の冒頭の祈りの中の文章は有名です。 私たちの心は、あなたのうちに憩(いこ)うまで、安らぎを得ることができないのです。 人間の心の真の平安は、神のうちに憩うことによると書かれています。…
もし余命宣告を受けたら、時部はどうするのかなと考えるように導かれました。聖句を握りたいと思います。
信仰を持って生きる夫婦の幸い。いつ奪われるかも知れない幸い。
届いた説教集の中に書かれていた言葉。「誘惑の正体は、神のことを思わない方に誘うことです」。心が定まりました。
キリスト者が抱く希望、キリスト者が受け継ぐ者が豊かに栄光に輝いていることを悟るようにとパウロは祈ります。悟りたいです。
朝目覚めた時、自分は何のために生きているのだろう、というような気持ちが心にありました。老いを生きるということは一筋縄ではいかないようです。
老いて自分なりに色んなことを経験して、もう新しいことにチャレンジすることなんてないと思っていましたが、実益を兼ねた趣味ができました。
歳をとり、死のイメージが変化しました。死とは永眠。永遠の眠りから人は目覚めるのか否か。