クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

受難週黙想 ルカ 23:50~56 イエスに倣って死ぬ

 アリマタヤ出身のヨセフという人物がイエスの遺体の引き取りを願い出て、イエスの遺体を墓に納めたと書かれています。

 ヨセフは、議員でした。つまり最高法院の議員でした。最高法院はイエスを裁判で死刑にしました。しかしヨセフは、同僚の決議や行動に同意しなかったと書かれています。それどころかヨセフは神の国を待ち望んでいました。彼はイエスを信じていたことが分かります。その彼がイエスの遺体を引き取り、墓に納めました。

 この出来事は何を意味しているのでしょうか。それは十字架でイエスが死んだことは確かであることを示しています。死んで葬られたのです。それは言い換えるとイエスの復活もまた確かであることを指し示します。

☆祈り

 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。主イエスは十字架で確かに死に墓に葬られました。主イエスが葬られたこと、それは主の死が現実であったことを意味します。

 老いた者として、自分の死を意識しますし、これをどのように受けとめたらよいのかと日頃から考えています。キリスト者には神の国の希望が与えられています。この希望がある、それで十分ではないかとの思いがあります。

 でも死というのは、特別な出来事です。いつの日か、死に至る過程の中に身を置くことになります。その時、できる限り平安な思いで過ごしたいと考えます。どうしたらそれができるのかと聖書を読みながら、手がかりを探っています。

 受難節そして受難週、聖書を思いめぐらす中であらためて主イエスが死んだことを思います。神の子が人となり、人として死にました。死ぬとは、神の子の死に倣うことであるという思いを持つようになりました。死は、地上の歩みで最後になすキリストに倣うことです。私たちはキリストに倣って死んでいく、このように考えることができるのは幸いであると思いました。感謝します。

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