クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の言葉は実現する

 終末の事柄を本気で信じることは私にとって課題です。本気で信じるということは、もし信じるなら、それが私の信仰者としての歩みをかたちづくることになるということです。

 昨日、今日とイエス様の復活の記事をルカ福音書で読みました。24章です。イエス様の復活を語るルカ福音書には一つの特徴があります。イエス様の復活は、あらかじめ予告されており、予告されたことが実現した出来事だという見方が特徴です。イエス様が葬られた墓に来た女性に対して天使は言います。

「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」。

 天使は女性たちに、自分は苦しみを受けて死んだ後復活する、とイエス様が弟子たちに語っておられたことを思い出させようとしたのです。

 そしてイエス様の復活を信じられないエマオ途上の弟子たちにイエス様は語られます。

「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」。

 そしてイエス様は、

 モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。

 ご自分が復活されたことは聖書(旧約聖書)に書かれていることの成就だとイエス様は弟子たちに教えられました。

 ルカの復活記事を読んで私は思います。終末の事柄も聖書に書いてある。きっと世の終わりが来て実現するにちがいない。終末を神の計画と受けとめ、終末を語る聖書の言葉は必ず実現すると信じることの大切さを思いました。神の言葉は実現すると信じることが終末の事柄を真剣に信じる秘訣なのだと気づきました。

 終末に何が起こるのかを考える時、今、どう生きるかを聖書から教えられます。たとえば、

「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます」(ヨハネの手紙一3:2~3)。 

 終末を本気で信じる時、自分を清める歩みが始まります。御子に似た者とされて御国に迎えられることがイメージできます。