神の愛
神の愛、それは真じる者を聖なる者とする愛です。聖なる者とされて生きる、誇らしいです。
キリストの大きな愛を知ることができるようにとの祈りがあります。その大きな愛を私たちは知ることができるのでしょうか。
神に愛されていることを知る人は、神を愛するようになり、神の掟を進んで守るようになります。
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」。
神は預言者ホセアに淫行の女と結婚するように命じます。またすでに彼女が産んだ子を引き取るようにも命じます。神の命令には驚きます。神の真意は?
放蕩息子の物語は、神の愛がいかなるものかを教えてくれます。
神の愛は神と私たちを結びつけます。この結びつきは永遠の結びつき、永遠の絆です。
パウロは神の愛をどのように感じたのでしょうか。思い巡らしてみました。
御子を犠牲にする神の愛は、私たちを罪から救う愛、罪の支配から解放する愛です。
御子と犠牲にして人を救う神の愛はとても大きな愛で、救いを求める人を皆救う愛です。
人間を救うためにキリストが私たちのために死んだ下さいました。ここに示された神の愛ってどんなものなのでしょうか。
神は、その独り子を与えるほどによを愛されました。独り子を信じる人は永遠の命を与えられます。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 すごい戒めです。神の奴隷になりなさいと言っているかのようです。
神の愛の大きさはどれほどなのでしょうか。神の愛から出た恵みを受け取る時、神の愛の大きさは、私がいかに判断するか、です。
神がイオスらの民と結んだ契約。そこにも神の愛が現れています。契約とは互いに関わりをもって生きること。交わりへと私たちを招く神の愛。
人間は神にかたどって、神の似姿に創造されました。神は人間を愛しているのです。
信仰とは神との交わりに生きることです。神は私たちへの愛のゆえに、私たちを交わりに招きます。
御子イエスの十字架の死。このしがなければ、人間の救いはありません。御子の死こそが人を救います。
キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を示されました。
独り子を与えてくださった、そこに神の愛があります。二つの恵みがあります。
神は独り子を世に送り、私たちを救ってくださいました。救いは神の恵みです。神の愛は恵みに満ちた愛と知ります。
神の愛はどれほど深く、大きいのでしょうか。それは滅びに値する者を見放したり見捨てたりすることなく、救おうとするほどです。
私自身が神の愛を知ったために、自分に何が起きたのか、3つの変化を自覚しています。第一に、心の深いところに平安と喜びがあります。それは神との間に平和を得ているからです。
聖書は、私たちに対するキリストの愛についても語っています。 「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように」
神の愛はどれほどの愛?それは人間を絶対に見捨てないほどの愛であり、神の子と呼ばれる資格のない者をなお神の子と受け入れてくださるほどの愛。
人は自分の罪を知るとき、神の愛を知ります。愛されるに値しない自分を愛する神の愛。
ヨハネ一3:1 「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい」。 考えてみました。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。神の愛ってどれほどの愛なのでしょうか。
自分が趣味としてきたことには共通点があります。なぜ、同じ共通点を持つことを趣味にしてきたのかと考えます。
神は、私たちを罪から救い、神との交わりに招いてくださいます。神は、私たちをどこへ導こうとされるのでしょうか。