2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧
日曜日は、G教会の説教奉仕でした。朝、家からバス停まで歩きます。基本的に下りの坂道を歩きます。ある家で梅が咲いているのに気づきました。しばらく歩くと甘い香りが漂ってきます。見上げると庭木の蝋梅が沢山咲いていました。蝋梅は1月に入ったら咲い…
この正月で私は72歳になりました。実は元旦が私の誕生日です。自分では自分が老人とは思いませんが、残念ながら外見は老人です。肉体の衰えも感じます。若い時と比べ、筋肉は明らかに少なくなっています。このような老年期、人はどのような思いで生きている…
今日は、孫の双子の赤ちゃんをあずかりました。娘夫婦が用事があり出かけたのです。朝から夕方まで一緒に過ごしました。双子の孫は女の子でそっくりです。私は彼女たちの右の耳を見て見分けます。その後は、着ているもので見分けます。娘は彼女たちにデザイ…
今、月二回、和歌山県のG教会に説教の奉仕に出かけています。ロマ書の説教をしています。これは最初から意図したことではなく、信仰者のアイデンティティーとして、神の子であること、義とされた者であることを説教した後、ロマ書に取り組みました。5章、6章…
今、私は奈良高畑教会の礼拝に出席しています。奈良高畑教会は毎年クリスマスに『羊群』という教会報を発行しています。教会報といっても100ページを超えています。教会の活動報告や教会に関係した教職者からの便り、教会員の証し、など内容が豊かな教会報で…
実は昨日、人生で初めてのことを経験しました。通院のはしごです。一つは定期的に通っている医院。血圧が少し高めなので血圧の測定結果をグラフにして報告し、薬をもらって帰ります。昨日はもう一軒、というか皮膚科の受診をしました。体の一部がかゆかった…
新しい人として生きようとすると罪との戦いが生じます。つまり聖書の教えを具体的に実践しようとするとその教えに抵抗する自分を見いだすのです。神さまの教えに反発する自分を知らされるのです。つまり自分の真の罪を思い知らされるのです。罪とは、神ご自…
『クラシック千夜一曲』(宮城谷昌光、集英社新書)を読んでいたら、次のような文章に出会いました。 「高校生になってあたりをみまわしたとき、はじめて自分の才能のみすぼらしさに気がつきました。級友たちがみな自分より優れてみえたのです。自分はひとに…
昨日は新年最初の主日礼拝。今年から少し前の席に座ることにしました。礼拝が終わり、午後は見守りです。娘夫婦は長老会があります。双子の赤ちゃんも大きくなりました。二人で歩き回り遊んでいます。休むことなく歩き続けています。本当に元気だと思います…
信仰者が新しく生まれた人間として生きようとすると何が起こるのでしょうか。彼はまず御言葉を行おうとします。たとえばエフェソの信徒への手紙には新しい人の生き方としてこんなことが書かれています。 日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。 夫婦…
リアルタイムの初日の出。テレビ撮影。 元旦礼拝の説教で「聖書の言葉を具体的に実行して生きよう」と語られ、うれしく思いました。 * 信仰者は、新しく生まれた存在です。神の子です。私たちが礼拝に出席する、聖書を読む、祈る、これらは新しい人とされた…