賛美
youtube で賛美を聞きながら作業をしていると、ある曲が始まるやその歌詞に心が引っ張られました。心が乗っ取られたかのようにその曲に心を向けました。
主を賛美することを喜ぶ、それは私のうちに主イエスが生きておられるからではないかと考えるこの頃です。
youtube で讃美歌を聞きながら一緒に賛美します。最近特に気に入って歌っているのが217番です。
人は自分が生きている時代のことをどう思うのでしょうか。私は自分はよい時代に生まれ、生きていると思うことがあります。
讃美歌11番の1節の歌詞は神を賛美する心を求めています。 O for a heart to praise my God,
私自身は、ユーチューブを通して、賛美との出会いがあります。ユーチューブがなければ出会わないであろう賛美の歌との出会いは、うれしいです。
今日は朝、聖書を読む前にクリスマスの讃美歌を歌いました。心に残る歌詞がありました。
あることがきっかけで、キリストに似た者となることを歌った讃美歌がないか、捜し始めました。今日時間があったので、讃美歌の最後までチェックしました。全部で4曲、ありました。
老いて初めて気づくこと。老いを生きる者への励ましと慰めの歌詞。
最近讃美歌の歌詞が心に響くようになりました。うれしく思っています。今日は313番を歌いました。
年をとって説教をするときに気をつけなければならないのは、キチンを声を出すことです。喉の筋肉を使わなくなったせいか、普通にしゃべると声が出にくいというか、声がかすれるのです。
今日の出来事。
祈祷会で賛美した讃美歌に共通点が。
賛美は力。老いを生きるとき、賛美を通して希望をたしかにしたいと思います。
讃美歌294番の英語の歌詞に共感を覚えます。 And when my task on earth is done, 地上での私の使命が終わるとき、
讃美歌294番の歌詞と英語の歌詞を比較してみました。そぞれの味わいがあります。
讃美歌は、折に触れ、私たちを励ましてくれる友です。
生きるのに疲れたという思い、自分は何のために生きているのかという思いで目覚めるのは一種の老人病と考えてよいのではないかと考えました。
最近インターネットのユーチューブですてきな賛美歌に出会いました。 それは "It’s not an easy road" (簡単な道ではない)です。
讃美歌の歌詞に感激する友人。平静な自分。この違いって何?
讃美歌を、もとの英語の歌詞で味わって気づいたことがありました。私に課題を突きつけました。
讃美歌をもとの英語で味わうことは、詩人の信仰の心に触れることができそうです。
幼い頃に抱いた死の恐れ。恐れるたびに心が傷つきました。それが神への恨みとなりました。
生きる意味を見失う老人はどのように信仰に生きる?
夜の祈祷会で歌った讃美歌48番。なつかしく、そして私と人生を共にしてくれた讃美歌。
わたしが最近賛美している歌の紹介
讃美歌を歌いながら、ただ歌っていただけのうかつな私。讃美歌546『聖なるかな』を歌いながら気づいた私
入院中、気持ちが揺れ動く中で、讃美歌は心の支えとなりました。自分を支える賛美があるのですね。
昨日の祈祷会で讃美歌211番を懐かしさを覚えつつ賛美しました。教区総会で行われる按手礼で歌うのが楽しみでした。
私はこの時代に生かされていることについて、神さまの恵みを感じています。特に牧師として歩むことを考える時。