クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

福音を考える

福音は神の力

福音は神の力とはどういうことでしょうか。力ですから、何かに働きかけ、その何かに変化をもたらすと考えることができます。

月曜日の憂うつ

月曜日朝の憂うつ。正体を見極めて対処しよう。

信仰義認をめぐって(3)イエス・キリストにおける神の救いの約束

イエス・キリストを信じる者は義とされる。よく知られた教えです。イエス・キリストを信じるとはどういうことか、深く考えてみます。

信仰義認をめぐって(2)義とされなかった人々

信仰によって義とされなかったイスラエルの民は約束の地に入れませんでした。

信仰義認をめぐって(1)義とされたアブラハム

信仰によって義とされた人物にアブラハムがいます。「信仰によって」とはどういうことでしょうか。

キリスト者の救いとは

イエス・キリストによる救いとは、罪を犯すという不具合を持つ人間を修理することです。

当たり前は当たり前じゃない

当たり前は決して当たり前ではないと気づくことは幸いではないかと思います。私たちの当たり前は?

見られる花、見つける花

見つけなくても目につく花、だれもが見ることができる花があります。他方で、探そうと意識しないと見つけることができない花があります。

信仰によって義とされるとは

信仰によって義とされる。何度も聞いた言葉です。どう受けとめたらよいのでしょうか。

私が信じる福音

聖書が告げる福音をどう理解するか。私が信じる福音を書いてみました。

心の中はいつも戦場

信仰者の心の中は罪との戦いの戦場。そこに福音が届けられます。

クリスチャンはどこで生きるか

罪の領域と御子の支配する領域のどちらで生きるのか。人はどちらかの領域で生きています。

私たちは罪の下にいた

人はみな罪の下にあります。罪の支配下にあるというのです。聖書の人間観です。

神からの使命か?

神の御心は、私たちが聖なる者となることであると聖書に記されています。きちんと受けとめいたいと思います。

実はイスラエルも(10)まとめ

旧約聖書に描かれたイスラエルの民の歩みから学べることを紹介します。 1.神はご自身を救いの神として現される神。 2.神はイスラエルの民を愛し、交わりを求める神

実はイスラエルも(9)立ち帰るよう呼びかける神

神に逆らい神の民として生きることを拒むイスラエルの民。そんな彼らを見捨てることなく、立ち帰るように求める神

実はイスラエルも(8)信仰の継承

イスラエルの王国時代、信仰の継承が為されませんでした。それは信仰が神との交わりに生きるものであり、信仰が個人的なものであるという側面があったからです。

実はイスラエルも(7)神の民の代表としての王

ダビデ王は、神の民イスラエルの王として神を畏れ敬う王でした。彼にも失敗がありましたが、神は信仰に生き続けた王でした。

実はイスラエルも(6)顧みる神

イスラエルの民は、王を立てることを願い、神に信頼するより、人間の力に頼ろうとし、神の民というアイデンティティーを捨てようとします。

実はイスラエルも(5)そもそも信仰に生きるとは

約束の地に入ったイスラエルの民の歩みから三つのことを覚えます。信仰の継承、偶像礼拝、聖書が伝える信仰の特徴。

実はイスラエルも(4)未熟な信仰の民

神の大いなる御業を体験したイスラエルの民でしたが、彼らが抱く信仰は未熟な信仰でした。

実はイスラエルも(3)神の民として成長する

神の民としてのイスラエルは神の民として成長していく。そのための神の配慮。

実はイスラエルも(2)イスラエルの民は神のみ業を見た

イスラエルの民はありありと、まざまざと神のみ業を見ました。それで「神の民」として生きていく決心をすることができました。

実はイスラエルも(1)その発端

旧約聖書に登場するイスラエルの民、彼らは「神の民」というアイデンティティーに生きるように神に召された民でした。

罪人の再生の始まり(16)アイデンティティーのまとめ

クリスチャンのアイデンティティーはクリスチャンのさまざまな面を明らかにしています。

罪人の再生の始まり(15)アイデンティティーの確認(神のもの)

クリスチャンのアイデンティティーは「神のもの」です。神さまはわたしたちを御自分のものとして大切にしてくださいます。

罪人の再生の始まり(14)アイデンティティーの確認(聖なる者)(つづき)

クリスチャンのアイデンティティーが「聖なるもの」であるという時、クリスチャンが世の他の人々から区別されて、イエス・キリストを信じ、神との交わりに生きる人であることを意味します。

罪人の再生の始まり(13)アイデンティティーの確認(聖なる者)

聖なるものとは、他のものと区別されて特別なものであるとの意味です。安息日を覚えてこれを聖別せよ。特別な日にするのです。

罪人の再生の始まり(12)アイデンティティーの確認(聖なる者)

聖書は信仰者のアイデンティティとして「聖なる者」を語ります。クリスチャンは聖なる者なんです!

罪人の再生に始まり(11)アイデンティティーに向き合うとき

クリスチャンのアイデンティティーに向き合うことができるのは、それなりの期間信仰生活を送ってきた人ではないかと思います。