クリスチャンの成長(48)キリストに結ばれて- 6
私たちが「罪に対して死んだ」ことが何を意味するのかを理解するために、私たちと罪との関係を知ることが必要です。
ローマ 3:9
ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。
「罪の下(もと)にある」とはどういうことでしょうか。この世界には目には見えませんが、二つの領域・領土があります。二つの国と言ってもよいと思います。一つは罪が支配する領域、今ひとつは神、キリストが支配する領域です。この二つの領域のどちらかに人は生きています。そのことは聖書に書かれています。
コロサイ 1:13
御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
使徒 26:17~18
わたし(イエス・キリスト)は、あなた(パウロ)をこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。
この二つの聖書箇所は、闇の力が支配する領域・サタンが支配する領域があり、他方で御子キリストが支配する領域・神がご支配する領域のあることを教えています。前者を罪が支配する領域ということができます。「罪の下にある」とは罪が支配する領域に生きていることを意味しています。
「ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです」。ユダヤ人とは神の民イスラエルのことです。彼らは神から律法を与えられています。彼らは神の掟、神の戒めを知っています。ギリシャ人とは聖書が告げる神を知らないユダヤ人以外の人を指すといってよいと思います。別な言葉で言えば異邦人です。
ユダヤ人たちは、ギリシャ人のことを神を知らずに罪を犯していると見なしていました。しかしユダヤ人たちは、ギリシャ人と同じことをしているとパウロは考えます。そこでパウロは、ユダヤ人もギリシャ人も罪の下にあると告げます。人は皆、罪の下にある、言い換えると罪の支配する領域に生きているとの意味です。
聖書によれば、罪とは神の教えに背くことです。神の御心を重んじないことです。神を知らない者たちは、神の御心に関心を持たず、罪を犯していることに気づかずに平気で生きています。神は人間に良心を与えているので、神を知らない人でも悪しきことをすれば良心の呵責を覚えることはあります。しかし多くの人たちは自分が罪の下にあるとは考えず、むしろ自分は善良に生きていると考えています。
ユダヤ人たちは神を信じ、神の掟、律法を与えられています。表面的に神の戒めを守っているように見えても、神のみ心に従う形で守ってはいません。ですからイエス様は彼らを偽善者と批判しました。パウロもユダヤ人たちはギリシャ人と同じことをしていると書いています。
ローマ 2:1
だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
人は皆、罪の下にあります。言い換えると罪の支配する領域の中に生きています。それが聖書の見方です。多くの人はこのことに気づいていません。パウロは人は皆、罪の下にあり、罪の支配下にあると語るのです。