クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

試練の諸段階(1)

 目の手術のために10泊11日を病院で過ごしました。短い期間でしたが、私にとってはささやかな試練の時でした。もっとも手術が決まってから試練は始まっていたということができます。幸いにも平安を与えられて入院することができました。

 入院期間を振り返り、試練について考えてみました。試練に直面した信仰者が通る段階があるのではないかと思いました。それを4段階に分けてみました。

  1. 闇の支配に取り込まれる。
  2. 光を見出す。
  3. 光の中を歩む。
  4. 聖書の言葉が自分のものとなる。

1.闇の支配に取り込まれる

 試練の時、それは私たちが動揺し、迷い、疑い、落胆し、平静・平安を失うときです。このような状態になることを闇の支配に取り込まれると表現できると思います。絶望的になることもあるかもしれません。一回目の手術の後、右眼は見えるようにはなりませんでした。眼球内に出血があり、出血のために眼球内がにごり、何も見えませんでした。今後どうなるのか不安でした。

 そして出血の原因を探り処置するために2回目の手術を受けました。手術の翌日、目が見えるようになり喜びました。しかしその翌日朝、またもや出血があったときと同じような眼の状況であることを知った時、ガ~ンと絶望のそこに落とされたような気がしました。

 出血があると眼球内にきれいですが不気味な模様が見えます。その模様の色は赤ワイン色でした。2回めの手術後のときは色は黒でした。ですから出血ではなかったのです。でもその時は出血と思い、また手術かと思い、強い落胆を覚えました。

2.光を見出す

 闇の支配に取り込まれたとしても、キリスト者は御言葉によって光を見出します。

マタイ 4:15~16
「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。

ヨハネ 1:5(口語訳)
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

ヨハネ 1:5(聖書協会共同訳)
光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。

 私は自分がキリスト者であることを確認します。暗闇を照らす光のあることを思い出します。さらに復活されたイエス様はパウロを福音を宣べ伝える使徒としてユダヤ人、異邦人に遣わしますが、次のように派遣の言葉をパウロに語りました。

使徒 26:18
それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである。

 イエス様を信じるとは、やみから光の中へ移されることを意味します。闇の中にいる者も光の中へ移されるのです。

コロサイ 1:13
神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。

 試練の中にあってキリスト者は光の中を歩むことができるとの約束を受け取ります。キリスト者にとっての光とは、御言葉です。聖書の言葉です。

詩篇 119:105
あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

3.光の中を歩む

 私にとって光となった聖書の言葉はロマ書の言葉です。

6:14
なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

 私は入院中、この言葉に支えられました。私は「恵みの下にある」との御言葉に立つことにしました。たとい何が起きたとしても、私は恵みの下にあるとの御言葉に立つことにしました。その時、平安が心に満ちてきました。しかし試練の中にあって状況次第では、闇の支配の中に再び突き落とされることもあります。実際私は突き落とされました。(つづく)

 

f:id:holala:20201217183656j:plain

皇帝ダリヤ 散歩道で