クリスマス
私が礼拝出席している教会では昨日、一本のろうそくに火が灯されました。アドベントと呼ばれる時期を過ごすことになりました。
クリスマス礼拝の説教奉仕をしました。礼拝が始まる直前、説教原稿がないことに気づいて頭はパニック。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。この御言葉による説教です。
今日は朝、聖書を読む前にクリスマスの讃美歌を歌いました。心に残る歌詞がありました。
パウロは「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず」と書いています。キリストはいつ、「固執しようとは思わ」なかったのでしょうか。
だれが全人類の罪の償いをすることができるでしょうか。現実の人間は、自分自身罪を犯します。全人類の罪の償いをできる人は、全く罪のない人だけです。
旧約聖書は人間の罪を明らかにします。そして救い主を待望します。
今度の日曜日は教会でクリスマス礼拝が行われます。神さまは救い主をこの世に送り、私たちのために救いの御業を行われました。そもそも神さまは、なぜ救い主をこの世に送られたのでしょうか。
イエス・キリストは神であるのに人となりました。なぜ人となられたのでしょうか。その答えは、人間を愛しておられたからです。
救い主イエスの誕生。これは1500年も前のアブラハムに対する約束の実現。1500年を経て実現した神の約束。
昨日は、燭火礼拝。キャンドルサービスです。寒い日でした。雷が鳴り響く中の燭火礼拝でした。燭火礼拝の時は、近年プロジェクターを使って讃美歌の歌詞を礼拝堂正面の壁に映し出しています。顔を上げて大きな声で賛美しました。説教は、マタイ1章18〜25節を…