クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

礼拝でパニックになった

 一昨日のクリスマス礼拝は無牧のG教会で説教奉仕をしました。思いがけない体験をしました。私の失敗談です。

 教会に着くと会議室で礼拝を司式する長老の方と礼拝前の祈りをし、それから礼拝堂に行きます。24日は、クリスマスで聖餐式を私が担当することになっており、週報に礼拝の司式者として私の名が書かれていました。週報を見て、礼拝の中で祈祷するのだなと漠然と思いました。いつもは司式の長老の方が祈るのですが、そうか、自分が祈るのか、と何を祈るか頭の中で思いめぐらしていると、長老の方が「礼拝が始まります、早く来て下さい」。

 いつもだと礼拝前の祈りを司式の長老の方と祈っているので、そのつもりでいたので、礼拝堂に行くのが遅れました。

 それで礼拝堂に入り、入り口で出席者名簿に名前を記入し、牧師席に座り、前にあるテーブルに讃美歌、週報、献金袋を並べたら、あれ、説教原稿がない!

 会議室にリュックを置いてきた、出し忘れたか、と会議室に行き、リュックを持ってきて中を調べるとやはり、ない!

 礼拝の時間になり、講壇で司式を始めます。招詞(招きの言葉)を読み、讃詠を歌いながら、「どうしよう、説教原稿ないよ。説教のあらすじ、流れは分かっているけど、原稿を思い出しながら説教するのはしんどいな。きちんと思いさせないし、思い出せるだけで話したら、説教短くなっちゃうし、ああ、こまった。どうしよう」と頭の中はフル回転。

 「十戒」を皆で唱えているときに、もしかしたら、と思いが来ました。私は説教原稿をパソコンに保存すると同時にインターネット上にも保存していることを思い出しました。スマホを利用し、インターネットからダウンロードすれば、原稿を読めるかも知れない。これがダメなら、覚悟を決めなければならない。必死の形相をしていたかどうかは分かりませんが、心は必死。

 十戒の次は「悔い改めの祈り」。こう祈ろうと考えた通りに祈り、次は讃美歌。皆が讃美歌を歌い始めたので、講壇を降りて牧師席に戻り、リュックからスマホを取り出して講壇へ戻り、下を向いてスマホを操作。よかった!

 讃美歌が終わり、次は「聖霊の証明を求める祈り」。これは毎週祈っているので、心の動悸はおさまりませんが、何とか祈り、次は聖書朗読、そして説教。

 パニくった心は、なかなか落ち着きません。動揺を抑えながら、何とか説教できて、ほっとしました。神に感謝。

 こんな経験初めてでした。帰宅して原稿があるか探しましたが、ありません。原稿を忘れたわけではないようです。無事に奉仕できたから、これでいいとしよう。

 夕方G教会の長老さんから電話があり、「説教原稿ありましたよ」。礼拝堂の入り口で、出席者名簿に名前を記入するとき、手に持っていた原稿、週報、献金袋などをテーブルに置いたとき、原稿だけ置きっぱなしにしたようです。

G教会の礼拝堂で