クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

自分の心はどうなっている?

 最近、『心はどこへ消えた?』(東畑 開人著)、『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(東畑 開人著)を読んでいます。

 私たちは普段は自分の心のありようなど気にしないで生きているように思います。そして自分の心はどうなっているのだろうかと探ろうとするとよく分からない、という現実があるかもしれません。私は今自分の心はどうなっているのか、と考えています。

 太陽に向かって歩くと、後ろに自分の影ができます。前を歩いている限り、影に気づきません。振り返れば影に気づきます。

 信仰に生きる時、疑いという影がつきまとうものだと考えてきました。ある人は、「疑いはある、だが、疑いがあるにもかかわらずなお信じる、そういう信仰に私は生きている」と語りました。私はこの信仰に生きる姿勢に共感を覚えましたし、覚えています。自分がそうだからです。

 でもふと思うのです。なぜ疑う心があるのだろうか。信じる心と疑う心が同居しているのです。これには理由があるのではないか、と考えるようになりました。

 最初に紹介した本の著者は臨床心理士でカウンセラーの仕事をしている方です。自分の心がどうなっているのか、心を考える上で参考になるのではないかと読んでいます。

 なぜ疑う心があるのか。それは信じる心が傷つかないためではないかと最近思うようになりました。疑う心は、私に聖書を読め、聖書は信じるに足る真理を語る書物であることを証明せよ、と命じているように感じています。

ナンキンハゼの実