2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧
牧師を引退しての近況と感じるところを書きました。
血管年齢を測定し年齢通りで安心。説教準備の誰も知らない牧師の事情。
イエス様の臨終間際の祈りを模範にしたい。コミヤマスミレの写真。
一昨日はイースタ礼拝でした。この日の説教テキストをどこにしたらいいのかと悩みました。イースタですから福音書の復活記事を説教テキストにすればいいのですが、ためらいを感じました。安易な感じがしたからです。自分にとってイースタの喜びは何なのか、…
隠退牧師の生活の紹介。家計簿ソフトを使って家計の管理をしています。
日が暮れる場所の変化により、季節の変化を感じます。
アニメ「ピアノの森」を見て気づいたことがあります。何事も中途半端であった私に心から熱中し追究するものを与えてくださっていたのです。感謝です。
受難週を意義深く過ごすことができました。受難美麗派に参加し、バッハのマタイ受難もきくことができました。
受難週の聖書黙想。人々に中傷され、あざけられ十字架の道を辿るイエス様。その心中にある思い、覚悟とは何か。
受難週の聖書黙想です。今日はルカ福音書 22章66~71節を読みました。 最高法院での裁判の場面です。「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と問われたイエス様は「今から後、人の子は全能の神の右に座る」と語られました。このことが神を冒とくしたこと…
ペトロのはイエス様を裏切りました。そのペトロを見つめるイエスの眼差しは愛の眼差しでした。
午後カメラを持って30分ほどの散歩に出かけました。アパートの前の道路の側溝のところに白いスミレが咲いていました。寺山霊園という墓地の前を通る通りまで坂道を上ります。ため池の堤のところに今を盛りとタチツボスレが咲いています。さらに歩き続けると…
今日、ゲッセマネの園でイエス様が祈っている場面をルカ福音書で読み、デボーションをしました。そこであらためて思わされたことを、死の恐れからの解放の補足として書いておきたいと思います。 死の恐れの本質は、神さまに見捨てられることにあります。信仰…
先週またもや風邪を引いてしまいました。早く治るようにとずっと寝ていました。日曜の礼拝も休みました。おかげで昨日から普通の生活を始めることができました。ほっとしました。 昨日は御殿場教会を牧会していた時に長老として奉仕してくださっていたOさん…
今日の私の聖書黙想を紹介します。受難節の中にあって、受難を語る聖書箇所を黙想しました。 ルカ福音書 22章24~30節 (内容) 過越の食事が終わった後、弟子たちは自分たちの中で誰が一番偉いのかとの議論を始めた。それに対するイエス様の答えが書かれて…