2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧
最近の祈りです。
1月22日(日)大阪にあるH教会で説教奉仕してきました。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 旧約聖書 出エジプト記 3章7~10節 新約聖書 ローマ 6:1~20 説教 罪からの解放 ~~~~~~~~~~~~~~~
人は信仰によって救われるのか、それとも行いによって救われるのか。そのような問いを立てることができます。
最後の審判を思うとき、すぐに心に浮かぶのは「こころを高くあげよう」(讃美歌第二篇1番)という讃美歌にある歌詞です。
人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。再臨のキリストは栄光のキリストです。
日曜日の夕食直前、わが家では「やったー!」との叫び声が聞こえました。大相撲・貴景勝の優勝が決まった瞬間です。
聖書は、私たちが神の国に迎えられるとき、主イエスに似た者となることを語っています。
私が終末を信じる根拠の一つは最後の審判です。 主イエスの語った教えがあります。マタイ25章
終末の到来について信じる理由、根拠を見出したいというのが人間の心情です。私自身が信じる理由として考えていることを紹介します。
先日讃美歌392番を歌ったとき心が震えました。 神のみ声は 昔のごと 今なお人を 召したもう 囚われし民 悩む者を 救う使いの 世にはなきか
人生行路の第三段階は、終わりを見て生きる、ということです。ここでは、世界の終末と私たちの生きかたを考えます。。
今日、友人から送ってもらったモーツァルトのピアノソナタのCDで音楽を聴いていました。集中して聞いて、聞き終わったとき、心が洗われたような、澄み切った心になっているのに気づきました。
元旦礼拝で、「新しい年を迎えて」という讃美歌を歌いました。ふと思い、youtube でこの曲を聞きたいと思いました。すると。
私は十字架のくしき光の中に自由を見ます。十字架の死を遂げた方こそ、私の主であり、この方は私を自由にしてくださいました。
今日午前中、私が礼拝出席している奈良高畑で洗礼式・聖餐式が行われました。私も出席しました。
自分は怠慢の奴隷なのだと思いました。した方がよいと分かっていてそれができないのは、何かの奴隷だと私は考えています。
十字架のくしきひかりを仰ぐとは、十字架の恵みを確認することと言い換えてよいと思います。この確認をしたいと思いました。今回は2回目。
十字架のくしきひかりを見るとはどういうこと?
この世で何が起きようと神さまを讃えて生きていきたい、それが年初の志です。