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隠退牧師 holala によるブログ

十字架のくしきひかり

 讃美歌39番(日暮くれてよもはくらく)を賛美していて心惹かれる言葉がありました。それが十字架のくしきひかりです。

十字架のくしきひかり
閉ずる目にあおがしめ
みさかえにさむるまで
主よ、ともに宿りませ

 寝床について目を閉じたとき、十字架からのふしぎに輝く光を仰がせてくださいとの願いです。もしかしたら死の床にあるのかもしれません。その光を見て平安のうちに召されてみ国に目覚めることが書かれています。十字架のくしきひかりを私も見たいと思いました。

 牧師をしているとき、あるお年寄りを訪問しました。するとその姉妹は「私の枕元にイエス様が来てくださったので、安心して死ねます。いつ死んでもいいです」と言われました。不思議なことだと思います。私もこういう経験ができたら、いいなと思います。しかしだれもが経験することではないと思います。

 それよりも十字架のくしき光を仰ぐほうが私には好ましく思えます。でも死の床にある時に見えるかどうか分かりません。だから今、見ればいいではないかと思いました。 主イエスを信じ、救われ、本当によかったという思いがあるなら、それはくしき光を見たということと考えることにします。そこで我が身を振り返ります。

 信仰をもつ以前の私はむなしさの中に生きていました。むなしさから解放されたいと思い、心の満たしを求めました。心の満たしを得るために、色々なことをし、ほしいと思うものを手に入れましたが、満たされませんでした。

 そんな時、主イエスは自分のために何かを得たり、何かをすることなく、むしろ自分を徹底してささげる歩みをしたことを知りました。目が覚める思いがしました。得ることではなく与えることに、ささげることにこそ、心の満たしがあると教えられた思いがしたことを思い出します。

 自分をささげる主イエスの姿を、十字架のくしき光と受けとめることにしました。

寒さの中、ひとつだけ 散歩道