この12月はマタイ1~2章とヨハネ1章を思いめぐらしています。ヨハネ福音書では、神から遣わされたヨハネのことが紹介されています。彼は光について証しするために来た、と書かれています。私もキリストの証し人として語ってみたいと思います。
1.暗闇に光は指した
この世の闇路を 照らしたもう
たえなる光の 主は来ませりマタイ 4:16
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。
人により、どんな暗闇の中にいたのかは違うと思います。私は死の恐れと空しさという暗闇でした。表面的には明るく、仕事も頑張って生きていました。でも私の魂は暗闇の中にいました。どうすればいいのか、どっちへ行けばいいのか、分かりませんでした。まさに暗闇です。そこに光としてイエス様がおいでになりました。感謝!
2.悪魔の支配からの自由
悪魔のひとやを うちくだきて
捕虜をはなつと 主は来ませり
ひとやは漢字で書くと「人屋」「囚獄」となるようです(広辞苑)。分かりやすく言えば牢獄、牢屋です。悪魔に捕らえられると心が不自由になります。苦しくなります。憂うつになります。劣等感のために自分を受け入れることができず、苦しかったです。折に触れて悪魔は、恐れとか、思い煩いとか、嫉妬とか、網を投げて私を捕らえようとしました。
自分は神に愛されている、私は神の子とされている、これを信じることにより、牢獄から抜け出ることができました。
ガラテヤ 3:26
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
3.罪の責めからの自由
平和の君なる み子をむかえ
すくいのぬしとぞ ほめたたえよローマ 5:1
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
イエス・キリストを信じ、義とされ、神との間に平和を得ました。お前は罪深いとの悪魔の声に耳を閉ざすことができました。私は罪を犯すかも知れないし、罪を犯します。でも私は神の子であり、神の子として生きていきます。キリストが私の罪のために十字架について下さいました。私は「自分が罪人である」とは決して口にしません。神の子とされているので、終わりの日の裁きを恐れません。