クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

クリスマスに思う(6)天上での対話-1 

ヨハネ 1:13
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

 「わが子よ、話しがあるのだが」

「何でしょうか、父上」

「実は、天地を創造しようと思うのだが」

「天地をですか」

「それでわが子よ、あなたの助けがほしいのだ」

「わたしの助けですか。なぜ私の助けが必要なのですか」

「わたしは言によって天地を造ろうと思っている」

「そこで言であるあなたの助けがほしいのだ」

「言を発することによって出来事にするのですね。それはわかりました」

「でも父上はなんで天地を造ろうと考えたのですか」

「実は人間を造りたいのだ」

「人間ですか。人間ってなんですか」

「わたしに似せて造るなのだよ。人間とは、わたしに似せて造られたものとなる。そしてわたしの栄光を映し出すものになる」

「父上に似せてとは具体的にどういうことですか」

「まず自由であること。知性を持ち、感情を持ち、意志を持つ。そして愛することを知る存在として人間を考えている」

「なるほど、わたしも父上に似ていますね」

「そうだ、わが子よ、ある意味、あなたは模範となるかもしれない」

「わたしが、ですか」

「わたしはあなたを愛し、わが子よ、あなたも私を愛している。よい関係だ。このような関係を人間との間にも持ちたいと考えたのだ」

「父上は、御自分に何か足りないものがあると思われて、人間を造ろうとされたのですか」

「いや、自分に足りないものがあるとは考えていない。自分に何か不足しているわけではない。ただ人間を造りたいと思ったのだ」

「父上は人間を造り、人間を愛し、人間からも愛されたいと考えているということですか」

「そうだ、わが子よ。わたしに似せて人間を造るとき、男と女に造ろうと考えている」

「父上に似せて人間を造ると男と女になるのですか」

「そうだ、なぜだかわかるか」

「分かりますとも父上。愛する存在は、ひとりでは存在しません。自分だけ愛しても意味ありません」

「その通りだ。人間は人を愛する者として存在する。だから男と女を造るのだ。つまり自分と他者だ」

「なるほど。神である父上が愛する者として存在するから、わたしの他に、人間をも愛したいのですね」

「その通りだ。ただ愛したいのだ」

「あと一つ、人間を造る目的がありました。父上の栄光を映し出すものになると言われましたが、どういうことですか」

「わが子よ、あなたはどう思うか」

「はい、わたしはあなたの子であることを喜びとしています。ですから人間が互いに愛し合って生きるとき、愛し合って生きるようにされていることを喜び、幸いを感じると思います。もし自分が神に似せて造られたと知るなら、父上に感謝し、父上を崇めるのではないでしょうか」

「さすが、わが子よ、その通りだ。人間が、神に似せて造られたことを喜びとし、誇りとし、幸いを得ることをわたしは願っている」

「父上のお気持ちは分かりました」

「相談というのは、わが子よ、あなたにも人間を愛して欲しいのだ。これは強制ではない。あなたもわたしと同じ気持ちになってもらえたらうれしいのだ」

「父上は人間をただ愛したい、だから人間を造るというのですね」。

「その通りだ」

「人間を造ったら、その後人間はどうなるのですか。それを父はご存じなのですか」

「それは・・・・」

「人間を造ったら、あとは成り行きに任せるということですか。父上の期待通りに人間たちは生きるのでしょうか。もしそうならわたしも人間を愛したいと思います。人間を造るお手伝いはよろこんでしますよ、父上」。 

f:id:holala:20211223192928j:plain

オニノゲシ 寒さの中で凜と咲いている