クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

クリスマスに思う(7)天上での対話-2

「人間を造ったら後は成り行き任せにはしない。それだったら人間は私を知ることがないから」

「そうですね。父上が何らかの形でご自身を現すことが必要になりますね」

「そうなんだ、わが子よ、人間を造り、人間が地上に増え広がり、同じ言葉を話す民が集団で暮らすようになる。その後、苦しみの中に置かれた集団を救い、彼らにわたしを現し、わたしを信じて歩むように導きたいと思っている」

「なるほど、人は父上を自分たちを救う神として知るわけですね」

「そうだ。わたしは彼らに戒めを与え、いかに生きるべきか教えたい。そして彼らを祝福したいと考えている」

「それはいいですね。それであなたを信じる者たちは、救われた後、どのような歩みをするようになるのか、ですね」

「最初はわたしの戒めにも忠実に歩む。でも世代交代するうちに私のことを知らない者たちが登場する。そうするとわたしから離れていくことになり、偶像を造るようになる。わたしの戒めにも背き、人間は罪を犯すようになるのだ」

「父上が造られる世界が罪に満ちるなんて耐えられません。それでは人間を造った意味がなくなります。ではどうされるのですか。人間を造るのをやめ、世界を造るのをやめ、人間を愛するのをやめるのですか」

「やめたくはない。そこでどうしたらいいのか、考えている。というか考えた。わが子よ、それにはあなたの協力が必要なのだ。でもあなたに強制はしない。喜んで協力できないなら、しなくていい」

「分かりました。父上、お話しください」

「まず、人間が犯す罪について。わたしは人間を愛する。でも私に対して罪を犯したなら、私は罪を見過ごしにすることはできない。わたしは聖なるものであり、義なるものでもあるので、罪は罰するほかない」。

「でも罪は償うことができるのではありませんか」

「罪の償いというのは、自分が罪を犯した相手が納得できなければ償いにはならない。簡単には償いはできないと思われるが。偶像礼拝を行った人間の罪はどう償えると思うか、わが子よ」

「そうですね。たとえば『私は一生、偶像礼拝をせず、あなたを愛し、あなたの掟に従いますから、許してください。この決意を償いとします』と言われても、こんなこと実行できません。無理ですね。罪を償うなんて、簡単に言えませんね」

「次に、どうすれば人間が喜んでわたしの戒めに従うことができるようになるかだ。これはわたしの戒めだ、守りなさいと言っても守るとは限らない。喜んで守るようにするにはどうしたらいいか」

「なるほどむずかしいですね。あなたが人間を造ったら、その人間がどうなるのか。偶像礼拝をし、その心は父上から離れていくのでしたね。人間には自由をお与えになりました。人間の心を操ることはできません」

「そうなのだよ。しなさいと命じて従ってくれればいいが、従うとは限らない。従わなければ罰するぞ、と脅せば、いやいやながら従うかも知れない。でもわたしはそんなのはうれしくない。いやいやながら従うのは、愛から出たことではない。わたしは人間がわたしを愛し、喜んで従ってくれることを願うのだ」

「どうしたら人間の心を変えられるかですね。でも自分の心を操作されて変えられるなんていやですね」

「わが子よ、どうしたらいいと思う」

「むずかしいです。でも一つ分かることがあります。それは父上が人間を徹底的に愛することです」

「徹底的に愛するだって?」

「そうです。人間が何をしても見捨てないほどに徹底的に人間を愛することです。そうでないと、途中で人間は手に負えないと投げ出してしまうかもしれません。それなら最初から人間を造らなければいい。世界を造らなければいい。そうすれば何も問題はありません」

「徹底的に愛するとは、ある意味、一種の覚悟を示すことを意味するかも知れないな。そこでわが子よ、わたしには一つの考えがある。聞いてくれるかな」

「父上、どうぞお話しください」。

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里山ウォーキングで 2021.12.09