「わたしが人となって人間世界に行き、あなたのことを知らせる働きをしますが、最後には迫害されて殺されてしまう。でもそれは人間を罪から救うためのいけにえの死だというのですね」
「そうだ。どう思う?」
「父上の提案ですから、お従いしたいと思いますが、分かりましたとは言えないものがあります。わたしが人となって生まれ成長して、父上のことを人間たちに伝える、これは納得できます。しかしあなたを信じると公言する者たちからわたしは迫害され、殺されます。こんなひどいことをする者をもあなたは赦したいと思われるわけですね」
「悔い改めるなら、その者たちを赦す。私は人間がわたしのもとに立ち帰ることを喜ぶ。立ち帰るなら、わたしは誰をも拒まず、受け入れる」
「そのためにわたしが犠牲になるわけですね」
「あなたは十字架につけられて死ぬ。その時、人々は十字架の処刑を見物するために集まる。中にはあなたを侮辱する言葉をあなたに投げつけるだろう。あなたが十字架につけられたとき、人間の罪は極まるのだ。そしてその罪の償い・贖いとしてあなたは死ぬ。あなたを人間の世に遣わし、このような目に遭わせるのは、わたしとしても心苦しい。それでもわたしは人間を愛したいし、愛していることを伝えたいのだ」
「わたしは十字架で死んだ後どうなるのですか」
「あなたは墓に葬られる。しかし私は三日目にあなたを復活させる」
「生き返るということですか」
「いや、わたしはあなたを復活させ、あなたを天に呼び戻す。あなたはわたしのもとに帰ってくる」
「すると人間の中には次のように言うものが出てくるかもしれません。父なる神はずっと天にいる。神の子は人間世界に来て、活動し、最後は死ぬかも知れないが復活して天に戻る。神の子は人間世界に来て、人間からいやな思いをさせられるかも知れないが、結局は天に帰る」
「それがどうかしたか」
「愛と犠牲は結びついている、自分のための犠牲を見るとき、愛されていると知る、と人間は言うかも知れません」
「だからわたしは、わが子よ、あなたを人間の世に遣わしたのだ。神であるのに人となり、人々からは迫害される。それを私は許した。そこに救いの計画があるからだ」
「わたしがたとい人間のために死んだとしても、復活し天に戻るなら、以前と同じ状態に戻ることになります。神の側で、何の犠牲が払われたのだろうと人間は言うかも知れません」
「確かに、それも一つの理屈だな。確かに私はずっと天にいる。あなたを人間の世界に送った後も、そしてあなたが天に戻ってきても、私はずっと天にいる。あなたを喪ったわけではない。わが子よ、あなたにしても、天の世界に戻っている。どんな犠牲を払ったのかと言われたら、どう答えたらよいのだろう」
「父上は答えに迷っておられるのですか」
「そうではない。人間の考える理屈だなと思ったのだ」
「どういうことですか」
「わが子よ、あなたに言っておかなければならないことがある」
「何ですか」
「それはあなたが十字架の上で経験することだ」
「何を経験するのでしょうか」
「あなたは十字架の上で、人間が犯すすべての罪をその身に負い、罪に対する私の怒りをその身に受けるのだ。身に負った罪に対する罰を受けるのだ」
「いったい、それはどういうことなのでしょうか」
「あなたはとてつもない痛みを経験するのだ」
「とてつもない痛みですか」
「そうだ、だからそれは犠牲といってもよい。あなたのその痛みを人間が理解するとき、十字架にあなたの犠牲を見、あなたの愛を人間は知るだろう。そしてわたしの愛をも人間は知るだろう」
「あなたの愛をどのようにして知るのですか」
「わたしは、あなたを信じる者の罪をすべて赦す。どんな罪を犯した者でも、どんなに罪を犯した者でも、あなたを信じ私に立ち帰る者をわたしは赦し、受け入れる。わたしの前に罪を犯したことを知る者はわたしの愛を知るだろう」