「わが子よ、わたしがあなたを人間として人間の世界に遣わすのは、罪の贖い、罪の償いのためなのだ」
「わたしはどんな役割を果たすのですか」
「まあ、あわてるな。わたしはわたしの民を選び、彼らに救いの神として現れることはあなたに話した。彼らには掟を与え、この掟を通して彼らを祝福することも話した。しかし彼らが掟に背いたとき、彼らは罪を犯したことになる」
「あなたは罪を犯した者たちを喜ぶことはできませんし、罪を犯した者を祝福することはできませんね」
「そうなのだ。罪を犯した者たちが心を入れかえ、わたしに従うことを表明すればよいのだが。それは口先だけではなく、真心から出たものでなければならない。そこで私はいけにえのささげものを彼らに求めることにした。いけにえを献げ悔い改めの気持ちを表せば、私はそれを受け入れ彼らに対して心を開いて接することにしたのだ」
「なるほど」
「でも人間は罪を繰り返すし、世代が変われば私のことをよく知らず、偶像を造って生きる者たちも出てくる。どうしたら、この民がわたしの民としてわたしを愛して生きるようになるのか、それが課題だ。もちろん私は彼らを愛し彼らを祝福する用意はあるし、彼らがわたしによって祝福を受け、全世界にわたしのことを伝えて欲しいのだ」
「どうしたらいいのか、むずかしいですね」
「そこで、わが子よ、あなたは人間となり、わたしの民の中に生まれ、育ち、私のことを伝える働きをして欲しいことはすでに話した。残念なことに、わたしの民はあなたを迫害し、あなたを殺すであろうことも話した」
「はい、人となり、あなたのことを知らせるというのは了解できます。しかし迫害され殺されるのでは何のために人間になったのか分かりません」
「ここからが本論というか、わたしがあなたを人間の世界に遣わす目的を話すことになる」
「それを聞きたいです」
「わたしはあなたを罪の贖い、罪の償いのためのいけにえとしたいと思っているのだ」
「え、どういうことですか。わたしがいけにえだなんて」
「わが子よ、わたしはあなたを救い主として人間の世界に遣わす。あなたは迫害されて殺される。でもそれは私の計画の中にある。あなたを迫害し、あなたを殺そうとするのは、実はわたしを信じていると公言する者たちだ。神殿で仕える者、会堂で聖書を説き、わたしの戒めを守っていると公言している者たちだ。彼らがあなたを殺すことにおいて、彼らの信仰が上辺だけのもので、私が遣わすあなたを殺すことにおいて、彼らの罪が暴露される」
「なるほど」
「あなたは殺される。しかしわたしからすれば、あなたは罪を贖い、償うためのいけにえとして死ぬことになる」
「どういうことですか」
「つまり罪を悔い改めようとする者が、わが子よ、あなたがいけにえとして命を犠牲にしたことを信じるなら、その者の罪を私は赦すということなのだ」
「ちょっと待ってください。変ではありませんか。罪の赦しを願う者がいけにえを献げるのが道理ではありませんか。赦しを与えるあなたがいけにえを献げるなんておかしいと思いますが」
「道理として考えればおかしい。しかしわたしは二つのことを伝えたいのだ」
「何ですか」
「まず第一に、わたしに対する罪を人間は償うことができない。なぜなら人間は罪を犯さなくなることがないから。仮に罪を償うことができたとしてもまた罪を犯してしまう。また償ってもまた罪を犯してしまう。これでは人間が喜んでわたしを愛し、わたしの掟を守る時は来ない。人が犯した罪の償い・贖いは、やはり人間がしなければならない。だから人となったあなたにいけにえとなってほしいのだ。あなたは聖なる者として生まれ、罪を犯すことがないから、償うことができる」
「なるほど。でもどうしてそこまで人間のためになさろうとするのですか」
「それはすべての人間をわたしは愛しているからだ。もしわたしが人間に償いを求めるとしたら、償いをできる人とできない人が生じるかも知れない。すると自分は償えないから、わたしとの関係を回復できない、と悲しむ者が出てくるかも知れない。あなたをいけにえとするなら、すべての人は、わたしに立ち帰ることができるようになる」
「それでわたしがいけにえとなるわけですね」
「そうだ、どう思う?」