御国を思う
モーセはネボ山に登り、イスラエルの民がこれから進む土地を見渡して亡くなりました。
主イエスは漁師たちに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と語りました。「私について来なさい」との呼びかけが私にも向けられています。
讃美歌22番の歌詞が心に留まります。 めさめよわがたま この日もひねもす みくにをのぞみて いそしみはげめや
朝メールをチェックしたら、神学校の関西支部の先生から訃報を知らせるメールが届いていました。
パウロは、「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望して」いると語ります。私の願いは、この世を去って、神を見ることです。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)。訃報を聞くことによって何が始まるのでしょうか。
すでに神に国は到来していますが、いまだ神の国の完成は到来していません。
小坂忠さんの訃報を聞いて心に去来した思いを書きました。
賛美は力。老いを生きるとき、賛美を通して希望をたしかにしたいと思います。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのであるとイエス様は教えられました。
キリストによって豊かにされた私の6回目は<永遠を思う心>です。永遠を思う心が湧き上がってきたのは、年をとってからです。
私は毎朝祈るとき、今日も御国への一日の旅路を歩むことができますようにと祈ります。一日の終わりには感謝。しかし・・・
今際の際にある兄弟のための祈りを考えるように導かれ、祈りました。
私が説教で使ったカエルのたとえを紹介します。
アブラハムは行き先を知らずして故郷を後にして信仰の人生に旅立ちました。彼は天の故郷を目指していました。
次いで世の終わりが来ますとパウロは語ります。世の終わりが来る、どう受けとめたら良いのでしょうか。
入院したときに抱く不安。退院できる、できない。できないとしたら。
主の祈りを毎日祈っているとすると、「御国が来ますように」と毎日祈っていることになります。
死を越える楽しみ、それが喜んで死ぬことを可能にするのではないか。
終末の事柄をいかに信じるのか。賛美することは、自分の声を通して、歌詞を聞くこととなり、信仰が芽生えます。
私が説教で時々語るたとえがあります。蛙(かえる)のたとえです。もし皆さんが天国に行った時、そこにいるのはみんな蛙だったらどうするかという話しです。
私は今三つのことに挑戦しています。常にチャレンジできる、うれしいことだと思います。70歳を超えていますが。 1.ペン回し ボールペンを手で持ち、指をクイッと動かしてペンをぐるりと回転させるあのペン回しです。上手な人のペン回しを見ていると神わざに…
唱歌「ふるさと」を聞いてイメージが湧いてきました。志を果たして天の故郷に帰る!
天の国への憧れが、今を生きる力を与える。すてきな教えではないでしょうか。
私は地上の生涯を終えたら、神の国に迎えられることを信じます。死を越える希望を私は聖書から与えられています。神の国に迎えられたとき、私たちはどんな喜びを感じるのでしょうか。向こうへ行って戻ってきた人はいないので、神の国のレポートを聞くことは…
人生を導かれる神さま。神さまが導かれるゴールは神の国。その時私たちは、キリストと同じ姿、栄光の姿に変えられます。
昨日奈良高畑教会の礼拝は子供たちとの合同礼拝でした。礼拝の後、子供たちが紹介され、子供たちのために祈ることが勧められ、牧師が一人一人に手を置いて祝福を祈りました。子供たちとの合同礼拝ということもあって、礼拝の中で「主われを愛す」を賛美しま…
ドイツのトゥルナイゼン牧師の葬儀説教『御手に頼りて』(日本基督教団出版局)の中に色々な聖書箇所が引用されていて、それらの聖書箇所を思いめぐらしたいとの思いが私にはあります。そして最近思いめぐらしたのは、コリントの手紙一の言葉です。これはパ…
今、私は奈良高畑教会の礼拝に出席しています。奈良高畑教会は毎年クリスマスに『羊群』という教会報を発行しています。教会報といっても100ページを超えています。教会の活動報告や教会に関係した教職者からの便り、教会員の証し、など内容が豊かな教会報で…
列王記上10章を読んで(内容) シェバの女王がソロモンを訪ね、ソロモンの知恵を試したという物語です。シェバの女王が浴びせたどんな質問にもソロモン王は答え、その知恵に女王は驚嘆したという物語です。そしてソロモンに知恵と富を与えた神をたたえていま…