クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリストにより豊かにされた私(7)永遠を思う心

コリント二 8章9節
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。

 キリストによって豊かにされた私の7回目は<永遠を思う心>です。

 私が信仰を求めたのは、死の恐れと空しさからの救いを求めたからです。信仰を持たない私には永遠を思う心はありませんでした。死の向こうに何かあるとは思えませんでした。仮に死後の世界を信じるにしても、それなりの根拠がなければ、受け入れることはできませんでした。

 クリスチャンになり、イエス・キリストの復活を信じたことが神の国を信じることにつながりました。キリストの復活は歴史的な事実であり、私自身の復活を信じる根拠となりました。若い頃読んだ本に「彼岸の世界は人間の願望が造りだしたものである」と書いてあるのは心に残っています。私はキリストの復活という歴史的事実を根拠として私の復活を信じています。単なる願望を信じているわけではありません。

 聖書に神は私たちに永遠を思う心を与えたと書かれています。

コヘレト 3:11
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。

 永遠を思う心が湧き上がってきたのは、年をとってからです。私には、自分の死を喜んで受け入れたいとの思いがあります。そのためには死んだ後何が起きるのかを知る必要があります。そしてそれを楽しみにできるなら、喜んで死を受け入れることができます。死の床に着いたなら、いよいよ、これまでの人生では見たことがない、言葉では言い尽くすことができない素晴らしい光景を目にすることができると信じ、最後を迎えたいと思っています。

ヘブル11:1
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

 私にとって永遠を思うとは、聖書に描かれている終わりの日の出来事を思いめぐらすことです。一番心に留めている聖句を紹介します。

コリント一 13:12
わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。

 神さまを見る、わくわくします!

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アザミの花 2021.11.14