讃美歌
『輝く日を仰ぐとき』という讃美歌があります。5番はキリストの再臨について歌われます。この歌詞は私を励ましてくれます。
讃美歌228番の歌詞。今の私の願いを歌っています。 憎みあらそい あとを絶ちて 愛と平和は 四方にあふれ みむねの成は いずれの日ぞ きたらせたまえ 主、御国を
最近 youtube でよく聞き歌う讃美歌228番をめぐっての黙想です。
讃美歌285の4番は、「この世を主に ささげまつり 神の国となすためには」と歌い、自分が死んでも滅びてもなお神の国の実現を目指して歩むとの一途な信仰が告白されています。
讃美歌285番。よく知られた讃美歌ですが、歌詞に目を留め、あらためてすごい讃美歌だと感じています。すごい、というのは深い信仰から出ている気持ちが歌われているとの驚きです。
讃美歌219番の歌詞が心に残ります。悔い改めを歌います。 おのが道 うちすてて まさみちに きたらずや 世のひとよ もろともに 活ける主に たちかえれ
頭の中にあるメロディーが流れてきました。讃美歌のメロディーだと思いました。後で探すために、メロディーをメモしました。その歌詞は、神からのメッセージでした。
「来たらせたまえ 主よみ国を」という讃美歌の言葉が心に響いてきました。現代世界の混乱を思うとき、神の国の到来を待ち望む思いが湧いてきます。
神を堂々と賛美します。 我らのみかみは 天地(あめつち)すべます 国々しまじま 喜びたたえよ
一日を生きる、それは消化試合のようなものと感じる心があります。そのような思いで今朝は目覚めました。
老いを生きる中で、聖書の言葉や讃美歌が心に新鮮に響くことがあります。今回葬儀に参加し、讃美歌が心に響きました。
今年の元旦も能登半島地震。自分の歩む道が突然閉ざされる、そんな不安に追い込まれる不安があります。
「恵みの高き嶺」。聖歌にある曲です。恐れや疑いから解放された信仰の境地としての恵みの高き嶺。憧れます。
聖歌にある「恵みの高き嶺」という曲が最近のお気に入りです。恵みの高き嶺、そこに登ることに憧れます。
讃美歌536番 むくいをのぞまで。この讃美歌に叱られるような思いをしました。
讃美歌536番「むくいをのぞまで」を賛美し、励ましを受けています。
讃美歌405番 神ともにまして を歌って思い出した事柄。
youtube で讃美歌を聞きながら一緒に賛美します。最近特に気に入って歌っているのが217番です。
モーセはネボ山に登り、イスラエルの民がこれから進む土地を見渡して亡くなりました。
讃美歌22番の歌詞が心に留まります。 めさめよわがたま この日もひねもす みくにをのぞみて いそしみはげめや
讃美歌11番の原詩の紹介
私はある時、この世の中で最も信頼できるものは何かと考えました。最も信頼できるものに出会い、それに基づいて考え生きるなら、自分の歩みは確かになると考えました。
讃美歌11番の1節の歌詞は神を賛美する心を求めています。 O for a heart to praise my God,
先日讃美歌392番を歌ったとき心が震えました。 神のみ声は 昔のごと 今なお人を 召したもう 囚われし民 悩む者を 救う使いの 世にはなきか
元旦礼拝で、「新しい年を迎えて」という讃美歌を歌いました。ふと思い、youtube でこの曲を聞きたいと思いました。すると。
讃美歌404番(山路越えて)には心惹かれるものがあります。「みちけわしく ゆくてとおし こころざすかたに いつか着くらん」。