讃美歌22番の5番の歌詞は次の通りです。
目覚めよわが魂 この日も終日(ひねもす)
御国を望みて 勤(いそ)しみ励めや
御国を望みてとあります。「望む」には遠くを眺めるという意味があります。どんなふうに御国が見えるのかと思います。そこで思い出すのがモーセです。
モーセはイスラエルの民の指導者となり、神の助けを得てイスラエルの民を奴隷の地エジプトから導き出します。そして自由に生きることのできる土地、「乳と密の流れる地」を目指してイスラエルの民を率いて荒野を旅します。色々な経緯があり、エジプトを出て40年後にイスラエルの民は約束の地に入ることになります。
しかしモーセは約束の地に入ることができません。彼は罪を犯し、神が聖なる方であることを表すことに失敗しました。そのために約束の地に入ることを許されませんでした。神はモーセに言います。
申命記 32:49~50
「エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる」。
申命記 34:1~5
モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、
ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、
ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。
主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」
主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。
モーセは約束の地を見渡して亡くなりました。讃美歌は「御国を望みて勤(いそ)しみ励めや」と歌います。御国はどのように見えるのでしょうか。
エフェソ 1:10
こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
この聖句は、「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられる」のが御国だと語っているように思います。そして御国のひな型はキリストの体なる教会です。