教会
牧師がいない信仰者だけの礼拝。そこにある恵みを想像します
礼拝説教奉仕に行き、教会の存続について考えさせられる現実があります。
説教奉仕で、いくつかの教会に生きますが、礼拝出席者が減少する中で、教会の存続という問題に直面します
福音を狭く理解することが起きていないだろうか。福音とは罪の赦しのことであるという施米理解。
教会の使命の第一は福音を宣べ伝えることにあります。私には一つの危惧があります。
教会の使命の第一は福音を宣べ伝えることにあります。私には一つの危惧があります。
教会で行われていたアルコール依存症のミーティングに参加し、分かち合うことの意義を知りました。励まし合う集会です。
聖書の学びは信仰者を成長させます。しかし成長させる学びは、簡単ではありません。
教会はキリスト者の信仰を成長させることが大切だと気づきました。
超教派の集会に参加し、聖書の読み方を学び、聖書を信仰の力とすることにより、伝道できる教会を形成したいと私は考えました。
妻の友人から妻に「私が今通っている教会は友だちを誘いたくなる教会なの」という電話がありました。その狭隘の礼拝に出席しました。
鳥羽教会時代に自分の信仰的立ち位置が明確になりました。改革派の信仰に立ちました。
教会について考えたいと思います。牧師として最初に教会に赴任したときのこと。
マタイ福音書の冒頭にあるアブラハムからイエスに至る系図を読み、思い巡らしました。
牧師の働きから引退して6年経ちました。説教奉仕の機会が与えられます。
4月から無牧の教会の礼拝説教奉仕が始まることになりました。福音を説教し、教会員の皆さんを励ますことが私に与えられた使命と受けとめ、祈りつつ、聖霊の導きを求めつつ、説教奉仕をする予定です。
現実の世界の中で信仰をもって生きることは簡単ではありません。色々な場面で罪との戦いがあります。教会に集う一人ひとりの信仰者が、それぞれの場で戦っています。
時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。
聖書を読んでの分かち合いについて紹介します。
テサロニケ教会の成熟した姿に、教会を誕生させた使徒パウロの姿に静かな感動を覚えます。
パウロは自分がキリストの使徒であることを推せんする推薦人はコリント教会だと語ります。ここにパウロの愛を見る思いがします。
教会における信仰の継承とは何でしょうか。信仰の証しを行い互いに信仰の成長をする仕組みを考えてみませんか。
活動の自粛、外出の自粛の中で、日曜の礼拝をどうするのか、教会の課題です。
私たちの生きる拠点は教会です。福音を聞き、信仰者の愛の交わりに生き、この世へ遣わされます。
教会に属して生きる、そこにも神の用意された救いがあります。信仰は生活の拠り所以上のものです。
求道者の方が信仰者の交わりに参加されて洗礼の決断をされました。私にとってはかみさまからのおおきなぷれぜんと。
アルコール依存症のグループ集会に参加して教えられたことがありました。信仰に生きるために、信仰者の分かち合いの大切さを学びました。