クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

教会を考える(6)信仰者を育てる

 若い時から、教会の将来に危機感を覚えていました。礼拝に集う人数が減り、教会は消滅の道をたどるのではないか、という危機感です。

 私が洗礼を受けた教会、私が牧師となって赴任した教会、その近隣にある教会の基本的な信仰教育は、礼拝説教を聞く、教会での聖書の学びに参加する、の二つが基本です。その内容は基本的に知識の伝達です。長年続ければ、信仰の知識は頭脳に蓄積されますが、必ずしも生き方の変化となって現れるとは限りません。

 私はサラン教会が聖書の学びをして信徒訓練、弟子養成をしたという話しに関心を持ちました。信仰者に対して継続的に信仰の学び、聖書の学びをするのです。基本的にはキリスト教の教理の修得、その教理に生きることを目指します。

 私も見倣いました。0から学び用のテキストをつくるのは私にはできないので、市販されているテキストを用います。聖書に基づき、問を出し、参加者に聖書から答えを引き出してもらいます。あるいは答えを提示し、考えてもらいます。答え合わせをしたら次の問いに進むということはしません。それなら学びは単に知識の伝達になってしまいます。

 問題は、どのようにしたら聖書の教えが身につき、それが生活となって現れるのか、です。どのようにすればよいのか、誰も教えてくれません。ノウハウを持っている人は少ないです。身近にいるとは限りません。私の周囲にはいませんでした。ですから試行錯誤です。

 そのような中で私が学んだことは、まず教える自分が聖書の教えに生き、それが生活になって現れることが大切であることです。教える自分が変わらないなら、学ぶ人が変わることは期待できないということです。自分が悩み苦労すれば、その経験を学んでいる人に参考として提供することができます。

 指導者がまず、聖書の教えに生きること。そして自分の経験を分かち合うこと。そして学ぶ人も、聖書の教えに従う努力をし、自分の経験を分かち合うこと。このような積み重ねにより、信仰者は少しずつ共に成長していくことを私は学びました。グループで学ぶことが有効です。

コロサイ 3:16
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。

 こうした学びをしていくと、学びが楽しくなり、笑いが溢れ、教会の雰囲気が段々と変えられていきました。他者を批判する心が薄れ、他者を愛し受け入れる心が育てられるからです。

 聖書の学びですから、学ぶ人はみ言葉に信頼する人となり信仰者として成長していきました。

サザンカ 散歩道