2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧
朝メールをチェックしたら、神学校の関西支部の先生から訃報を知らせるメールが届いていました。
マタイ福音書の冒頭にあるアブラハムからイエスに至る系図を読み、思い巡らしました。
失敗したらもう一度やってみればいい。そしてまた失敗することです。前より上手に失敗することです。
教会が福音として伝えることは、簡単に信じることができるとは限りません。むしろ信じがたいことを宣べ伝えていると言えるのではないかと思います。
義とされた私たちが罪を犯したら、義とされたことは取り消されるのでしょうか。取り消されません。
今朝起きたら久しぶりの濃い霧。周りが見えません。この見えない風景を見ていると一つの聖句が思い出されました。
キリスト者である自分がキリストに結ばれていることがどのようにして分かるのでしょうか。基本的には結ばれていると信じるだけです。
私はある時、この世の中で最も信頼できるものは何かと考えました。最も信頼できるものに出会い、それに基づいて考え生きるなら、自分の歩みは確かになると考えました。
イエス・キリストを信じるとき、 人は新たに生まれた。 人はキリストに結びつけられた。
昔からずっと思っていることがあります。それは福音理解です。福音とは罪の赦しいう理解。
クリスチャンとは、キリストに結ばれて生きることを自覚的に選び取って生きる人のことです。救いとは神の恵みによって、キリストに結ばれることです。
やがて私は知りました。自分は罪の支配下にあること、闇の中にいること。そしてキリストに結ばれるとき、闇から光へ、罪の支配下から御子の支配下に自分が移されたことを。
御子の支配下に生きるなら、罪に打ち勝ち、罪の支配から自由になり、解放の喜びを味わう信仰の世界が開かれます。
牧師の働きから引退して6年経ちました。説教奉仕の機会が与えられます。
人は皆、アダムにつながる人として罪を犯し、罪の支払う報酬として死にます。しかしキリストを信じ、キリストに結ばれるとき、永遠の命を得ることになります。
使徒パウロはロマ書の5章で、世界中の人間は二種類に分類できると書いています。クリスチャンとクリスチャンでない人の二種類です。
讃美歌11番の1節の歌詞は神を賛美する心を求めています。 O for a heart to praise my God,
神は、私たちを罪から救い、神との交わりに招いてくださいます。神は、私たちをどこへ導こうとされるのでしょうか。
昨日、県内にある教会で説教奉仕しました。 旧約聖書 イザヤ46:10 新約聖書 マルコ15:33~41 説教 主イエスの愛