クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

救いを考える(3) 闇から光へ

 人類は二種類の人に分けられます。アダムに結ばれる人とキリストに結ばれる人です。このような考え方はロマ書5章をもとにしています。救いを新たな視点で見ることができます。

 使徒パウロは復活したキリストから伝道の使命を受け取ります。キリストは次のように語られました。

使徒 26:16~18
起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。
わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。
それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。

 ここでは、救いとは、闇から光へ、サタンの支配から神に立ち帰ることと示されます。コロサイの信徒への手紙にも同様のことが書かれています。

コロサイ 1:13~14
御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

 ここには、私たちは闇の力から救い出されて御子の支配下に移されたとあります。救われるとは、自分の住む場所が変わることを意味します。闇の中にいたのが光の中に生きるようになります。サタンの支配から神の支配下へ、つまり御子の支配下に移されます。これが救いだというのです。

 アダムにつながる人は罪を犯すことを常とし、闇の中にいると考えることができます。しかし救われてキリストに結ばれるとき、私たちは御子の支配下、光の中に生きるようになります。

 洗礼を受けても、日常生活を送るとき、自分の身に変化が起きたとは思えませんが、霊的には上記の聖書の言葉が示すように大きな変化の中に私たちはおかれているのです。

 そして旧約聖書にある出エジプト記。イスラエルの民はエジプト王の奴隷状態の苦しみから、神によって解放され、自由の民として生きることができる土地を目指して旅をし、約束の地での生活を始めました。奴隷状態から自由の身となって生きるようになりました。救いとは囚(とら)われから自由になることだと教えています。

 キリストを信じる信仰を、このような視点で見る時、つまり暗闇、サタンの支配下から、光の中へ、御子の支配下に生きることと考えるとき、私たちの信仰の歩みに変革が起きるのではないでしょうか。

 罪を犯してもキリストのゆえに罪が赦されて感謝だという思いを抱くだけの生活が変わります。罪を犯すのは、私たちが闇の中にいるから。光の中に移れば、罪に勝利して生きることができます。御子の支配下に生きるなら、罪に打ち勝ち、罪の支配から自由になり、解放の喜びを味わう信仰の世界が開かれます。誇りを持って、主と共に歩んでいると語ることができます。救いの回復、喜びの回復が、何よりも求められているのではないでしょうか。

リキュウバイ 馬見丘陵公園